2008/02/26

いよいよ出発です。


いよいよ出発します。
明日朝早く家を出ます。
旅行保険も入り、訪問ビザも取り、荷物も詰めました
出発にあたっては、ヤマサ日本語教師養成講座、
OIA日本語教室、英会話、ポルトガル語、それぞれのお仲間に 壮行会をやってもらいました。
その上、仕事、近所、そして親しい友人から、はなむけのお金、インスタントの味噌汁、日本独特のきれいなお菓子、教材になる絵本、CD、思いがけずお守りまでいただきました。そして忘れられないのが、沢山の貴重なアドバイスです。
本当に本当に感謝です。
中国行きを決めるには、主人に背中を押され、
出発にあたっては、こんなにたくさんの人から背中を押してもらって出かけて行きます。
この感謝を、向こうで生徒さんたちのお役に立つことで返して、民間レベルでの日中友好の一端をなんとか担えたらと思っています。
皆さん、本当に本当に有難うございました。
体に気をつけて行ってまいります。
習いたての中国語でも、ご挨拶を。
明天我去中国長沙教日語 非常感謝大家

2008/03/08

日記、送ります。


面倒なパソコンの調整がお願いでき、ようやく日記が書けるようになりました。
この間、いろいろ皆さんに心配をかけたようで申し訳ありませんでした。
2月27日朝6時に家を出て、長沙に着いたのは夕方6時。
飛行機の遅れで半日かかったとはいえ、まずは無事到着できたことに感謝。
授業開始は4日後、それまでは荷物の整理や買い物を。
食事は慣れるまではとお願いしてあったので、范先生が作ってくださる。
「料理は趣味」とおっしゃる先生の料理は、日本人の好みに合わせた中国料理で、めちゃおいしい。
部屋は少し寒いけど、居間、寝室、台所、トイレ兼シャワールームと一人で住むには勿体ないほどの広さ。
前任の市岡先生そして劉先生のお心使いで、すぐ使えるよう整っている。
難は3つ、
水は沸かさないと使えないこと。
ふろはシャワーだけしかないこと。
トイレの穴からネズミが出るとのこと。
水は、毎日大ヤカンで2杯沸すことで何とか解決。
ふろは、多分じき暖かくなるのでこれもOk。
トイレのネズミだけは気になるけれど、今のところ一度もお目にかかってはいない。
部屋の整理が済み、少しずつ授業の準備に取り掛かる
どんな学生たちに出会えるのだろうか。
授業はちゃんと出来るだろうか。
期待と不安を一杯抱えて眠リに就く。


2008/03/10

授業開始


3月3日から、いよいよ授業開始。
担当クラスは、06−04クラス(中級20人)07−02クラス(初級40課20人)07−03クラス初級(27課15人)の3クラス。
会話と作文を中心に90分授業を、週、計9回。
日本での日本語教室では、ほとんどプライベートレッスンに近く、10人、20人のクラスは、あまり経験がない。
少し不安なので、先に範先生の40人クラスを参観させていただき、驚く。
皆、実に真剣に集中している。(日本ではもうあまり見られない光景)
この様子なら、何とか人数が多くても、と少し安心する。
初めての授業は、3クラスとも、自己紹介を。
出来るだけ全員にたくさん話してもらえることを考え、二人ずつ前に出て、マイクを持ってのインタビュー形式に。
私は、脇でメモを取りながら、話し方のCHECKを。
どのクラスも、生徒は素直で明るくまとまっている。
最初は皆はずかしがっていたけれど、結構会話が弾みだし、どんどん質問も飛び出したりして、楽しい授業に。
私はあまり話さなかったのに、学生たちが勝手に盛り上げてくれた。ありがとう!
明日からは、少しずつレベルを確認しながら、教案づくりを。

2008/03/11

初めての中国で


学校の門を出ると、狭い道の両側にびっしりと学生相手の食べ物屋(食堂といううには小さすぎて)
炒飯、ワンタン、揚げ物、焼き物、うどん、肉まんじゅう、餃子、中華巻きなど それぞれの店。
もっと行くと、今度は八百屋、果物屋、肉屋(生肉ぶらさげて、あるいは 鶏、すっぽん、かえるなどは生きたまま)そして魚屋(これもたらいに生きたまま)
そして豆腐屋、菓子屋、衣類に雑貨、電気製品に陶器
はたまたとうがらしだけ、生姜、にんにくだけを売る店(屋台と言った方が正解かな)など雑多な店がびっしり。
7〜8人も行きかえば一杯の道を、沢山な人と自転車
とリヤカーとバイクと自動車まで通る。
足元のぬかるみ(排水の水で)とゴミと車とスリにも気をつけて歩かねばならない。
まるで4〜50年前の日本の下町ににタイムスリップしたような。
こんな生活状態と同じく、考え方もタイムスリップ。
人は年寄りを大切にし、親や先生を敬い、礼儀も大切にする。
ここで毎日学生たちを見ていると、日本は経済発展と共に、やはり何か大切なものをを忘れかけているのでは、と痛感する。

2008/03/12

学生達


学生は皆 実に素直で やさしく 礼儀正しい。
特に、師に対しては恐縮するほどに。
会えば必ず向こうからきちんと挨拶してくれるし、
日本語が話したくて、緊張しながらも積極的に話しかけてくれ、手伝いも申し出てくれる。
湘湖のほとりを歩いたり、買物、食事、郵便局に付き合ってもらったり と 本当にお世話になっている。

先日の日曜日には、ひとクラス10人ほどに巻き寿司の作り方を教えてあげた後、みんなで烈士公園へ。
とてもとても広くて、週末のせいか賑わっている。

芸術品かと思えるほどのべっ甲飴を買ってもらったり広場で歌っているおじさんに加わって、大勢の前で、北国の春を、日本語そして中国語で歌ったり、
昔のお姫様の衣装を借りて写真を撮ったり、、、。

私も一番に着せられ、恥ずかしいと思いながらも実は喜んで、はい、ポーズ。
1時間借りる間に皆次々交代してポーズを。

そのうちの一人、自分の写真をどれもまずいと思うらしく、「私バカバカしい」と。
その日本語と彼女の顔、思い出すたび、楽しくなる。

行きは歩いて40分以上。公園を2時間ほど歩き回ったあとはバスで帰る。
バスでは一番に私を座らせてくれ、年寄りが乗ってくれば、みな当たり前に席を譲っている。

ずいぶん歩いたので、足が痛くなった子、少しバスに酔った子などあり、心配したが、皆の心配をよそに私は大丈夫、われながらこんなに丈夫だったかなあ〜。

若い彼女たちと日本では決して出来ない経験をした1日
みんな有難う!!。感謝です〜。



2008/03/15

授業その1


担当は、会話、作文、ビジネスマナー。
学生に聞いてみても、やはり話せるようになりたいと言うのが一番。
とにかく自分から話す機会をつくろうと、授業の初めに、毎日2〜3人、一人ずつ、前に出て話してもらうことを決める。
テーマは自由。
最初は、戸惑っていたけれど、だんだん慣れてくると、結構、皆自由に話してくれる。
友達のこと、家族のこと、今思っていること、将来のこと、、日本への思い、その他その他。
詩的に話す子、ことわざを使って話す子、習った文型を使って話す子、すらすらと、あるいはつかえて、つかえて。
約束は一つ、友達の発表をしっかり聞くこと。
聞くこともそのまま勉強になるので。
皆よく聞いている。
簡単な間違いは、自分たちで教え合い助け合っている。
作文は少し大変。
各自のレベルが一番よくあらわれるから、本当ならレベルに合わせて添削するのが理想なのに、つい日本人の感覚でおかしい点をすべてCHECKしてしまう。
作文の授業は初めてなので、段階を追う添削が自分自身難しい。
生徒に申し訳ないと思いつつ、模索している。

2008/03/17

授業、その2

作文での間違いは、先ず助詞の(が) と (を)。そして(に) と (で) と (へ)。
次に、形容詞の使い方、漢字(中国語をそのまま)、丁寧体と普通体の取り交ぜ。
そして難しいのが、(こ、そ、あ、ど)。
現場指示は皆理解しているが、文脈指示が難しい。
でも説明することはもっと難しい。
なんとか分かりやすく教えてあげられたらと、NICKY(ヤマサ日本語教師養成講座のお仲間)に救いを求める。
早速、何人かから救いの手が。
皆一生懸命に教えてくださって、本当に本当に感謝。
NICKYを立ち上げてくださった神谷さん、そしてやさしいNICKYの皆さん、ありがとう!


2008/03/18

小鳥の声で目ざめ、騒音の中で眠る


朝6時過ぎ、必ず小鳥が鳴きはじめる。
ホトトギスなのか、ホーケチョケチョ、時にはピッピッピーと。
ひとしきり鳴くと朝食に出かけるのか、声が遠ざかって行く。
ここは大学の構内、大きな木も多くて、鳥の巣があるらしく、毎日の日課。
雨の日も休まず、少し暖かくなってきた今日この頃はとても元気が良くかわいい。さわやかで幸せな朝。
7時すぎると、今度は大音響で校内放送。
ほとんどが歌。でも、とにかく大きい。なぜこんなにと思うほどに。
そして夜になると、隣り合わせた近所の騒音、どうも夫婦喧嘩かな、と思われる声さえも。
とにかくどれもどれも大きい。
でも幸いなことに、眠い時には眠れる性質なので、そんな騒音のなかベッドに入り、いつしか眠りに落ちていく。

2008/03/18

授業その3


何日間かの授業から、会話だけでも復習をと考え、
劉先生にも相談のうえ、どのクラスもおさらいをしていたけれど、
今日、あることに気がついた。
06−04のクラスはもう2か月もすれば卒業。
生徒たちはぼつぼつ就職試験を受けたりし始めている。
急きょおさらいは後にして、ビジネスマナーを。
皆目の前のことだから、真剣。
それでなくても、朝5時から起きて勉強、簡単な朝食、そして又勉強、と本当に頭が下がるほど皆よく勉強している。こちらが教えられる思いで、私も中国語頑張ろうと思う。
買い物が自由にできるためだけではなく、生徒たちに教えやすくなるためにも。

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2008/03/22
風呂

宿舎の風呂は、上からヒーターで暖めながら湯を浴びてのシャワー。
しかし、部屋は寒いし、慣れてない身にはとても寒くて無理。
毎日熱湯で体を拭くけれど、洗髪が難しい。
そんな時、範先生、劉先生に近くのスーパー銭湯のようなところへ連れて行って貰う。
久しぶりに充分な湯を浴びて洗髪、そして体を洗う。
長沙の生活にも少しずつ慣れ、ホッとすると同時に少し疲れもでてきたかなと思っていたけれど、
そんな疲れはいっぺんに飛んでしまうほど気持ちよくさっぱりする。本当に本当に有難うございました。

ふと傍にあった体重計にのってみたら、51kg。
え、どうして? 日本では努力しても絶対得られなかった理想体重。
食事は進んでいるし、体調良好(日本からの風邪さえ治っているのに)なぜ?
考えられる原因は一つ。
学校は大学の建物の5階。毎日、たどりつく頃には
ハア ハア。
一日に3往復することも。これが効いてるのかな〜。
でも、なにはともあれ、ラッキー!!

2008/03/20
中国の優しい人たち

先月無事長沙に着いたとはいえ、実は少しハプニングもあり。
でも、いずれも中国の人たちに助けられることで、楽しいスタートを切ることが出来た。
先ず虹橋空港で、長沙行きの飛行機が1時間遅れで出発。
案内がなかなか出ないので、近くの二人づれの奥様らしい人に切符を見せ聞いてみる。
あれこれすったもんだの後、何とかここで待てばいいことが分かり、飛行機が出るまで雑談。
彼女は少し英語が出来るので、片言の中国語、英語、日本語で、こんにちは、さようなら、ありがとうなど教えてあげる。
とても喜んでくれて、彼女が出発する時には係員に、私を長沙行きの飛行機に乗せることを、しっかり頼んでいってくれる。
そんなこんなでやっと長沙に着いてほっとしたところ、今度は出迎えの範先生が見当たらない。
5〜6分待ってもダメ。
こんな言葉の分からないところで、どうやってホテルを探したらと一瞬あせって、
傍にいる係員に、思わず覚えていた中国語で、電話、電話を連発したら、彼はやおら自分の携帯を取り出して貸してくれ、私に代って掛けてくれた。
近くで待機していてくださった範先生と劉先生が飛んできてくださって、一件落着。
見ず知らずのものに、本当に皆さんありがとう。
その後も、範先生、劉先生、文先生、黄先生、夏先生、二へ先生、王先生、そして何人もの生徒たち、と
本当に本当にたくさんの人たちに暖かく、暖かく守られ生活している。心から心から感謝!!


2008/03/22

買い物


買物は、最初は応答の要らないコンビニ、スーパーだけ。
でも次第に学生たちに教えてもらって、一人で買い物できるように。
「肉まんじゅう 2個ください。いくらですか」と中国語で聞いて、2元払ってOKだった時には、ヤッタ―と叫びたい思い。
他に、トイレはどこですか、家であなたを待っています、どうぞよろしく、いいえ結構です要りませんetc
学生達が喜んで教えてくれる。
発音がいいと褒めてみたり、少し言えればすご〜いと驚いたりして、じょうずに教えてくれる。
皆本当に優しくて、買物に同行を頼めば即OK。
皆で両脇をかためて守ってくれ 、必要なものはとことん探してくれ、品物はどんな安い物でもしっかりと点検し、荷物は必ず持ってくれる。
本当に本当に勿体ないほど。
先輩達が「帰りたくなくなるよ」と言われたのも 頷ける気がする。学生の皆さんありがとう〜〜〜〜〜。


2008/03/23
CDとDVD

rainのフアンだと知った生徒が「先生、CD買いに行きましょう」と誘ってくれる。
ビルのどこにも小さな本屋がびっしり、そしてCD、DVDを売る店もびっしり。
皆で探しまわってくれて 手に入れたCD1枚17元(289円)DVD1枚8元(136円)
もちろん海賊版。でもちゃんと聞ける。見られる。
こんな値段でいいのかなあと不思議。
日本のことを思うと、中国は食べ物も安い。
めちゃおいしい肉まんじゅうが、一個1元(17円)日本のすくい豆腐のようなおいしい豆腐が、2丁分くらいで5角(9円弱)。
野菜は3元も出せば、食べきれない。
朝早くから、2元、3元で食べられる 店も軒並み。
人口が多くて 生きていることを 実感する国。


2008/03/23
日本語コーナー(茶道)


今年から 新設された 日本語コーナー。
第一回目は茶道を。
日本から抹茶、羊羹は持参したが、
果たして何人くらい集まるかが分からず、
羊羹は人数見てから切ることに。
驚いたことに、60人余。
2本の羊羹は少し小さいお茶菓子になったが、みんなおいしいと喜んでくれた。
「みんなの日本語」34課の会話「するとおりにしてください」を引用して、
お菓子を食べてから抹茶を飲むこと、
そして次に抹茶の飲み方の説明を。
その後、実際に抹茶も立ててもらう。
皆泡立てるのに苦戦しながらも、興味津々楽しんでいる。
約1時間ほどで終了。
おいしかった!おもしろかった!の声に、ホッとする。
2週間に1回の日本語コーナー、次回は詩舞。
日本を離れて以来練習していない。
少し準備を、、、。

2008/03/23

授業その4

少し前、劉先生から「みんなの日本語」1週間に1課くらい進むことと、
もう少しゆっくり話すこと(特に、初級後半の07−03クラスは)を指摘された。
その指摘ではじめて自分の思い違いに気付いた。
私の担当は、会話を中心に「みんなの日本語」を教えるることではなく「みんなの日本語」本冊をそのまま教えることであり、文法、聴解、読解については、他の先生が別な本で教えていらっしゃるのだ。
それで、何となく今までもやもやしていた問題が解決。
ゆっくり話すことについてはしっかり反省しなければ。
いくら生徒を思って一生懸命授業をしても、聴きとれていなくては何にもならない。
普段から早口だから、しっかり気をつけよう。
それに忘れていたことがもう一つ。
ヤマサの養成講座でいつも教えられた未習語彙。
乱発していた。
明日からはくれぐれも気をつけて、ゆっくり、わかりやすく、話すように。
早い段階で教えていただけてよかった!


2008/03/26

スカイプで電話

長沙到着後、すぐ主人には報告の電話を入れたが、その後は掛けていない。
劉先生が「いつでも使ってください」と言ってくださるが、国際電話の高いことを考えると、無駄話は申し訳なくて、、。
ところが、学生から「スカイプは?」と聞かれ、はっと思い出した。
主人との連絡の為に、スカイプがセットして貰ってあることを。
ヤマサの学生である台湾の謝さんが我が家にホームステイしている時、私の中国行きを気遣ってセットしてくれた。
何となく慌ただしい毎日で、うっかりしていた。
さっそく掛けてみる。
見事つながって、色々たまっている話を。
近所の方が心配していてくださるとのこと、そこへも掛けてみる。
そして、メール出来ないあの人この人にも。
謝さんには、お礼の気持ちを改めて。
こんな風に、いつもいつもいろんな人に助けられ守られていること、本当に感謝でならない。

2008/03/24

中国の家

招かれて、何軒かの中国人家庭へ。
学校の宿舎は とても古くて 色々不便も多く、これが中国の家かと思っていたら、とんでもない。
どの家も外観は古くても、一歩中に入れば 素晴らしく モダンで ハイテク。
日本の家のように、いろいろな物がなく、とてもさっぱり片づいていて、見事に美しい。
どの家庭でも夕飯をご馳走になったが、医食同源に適った食事は おいしいだけでなく、体にもやさしい。
大皿、大鉢に盛られた料理を、皆で分け合っての食事は合理的でもある。
ある家では 夕食時に帰ったご主人が、下ごしらえの出来ている料理を 次々仕上げて、、、。
いつも感じることだが、中国の男性はやさしい。
料理だけでなく、事あるごとに 積極的に 女性の力になっているのを よく目にする。
学生の70〜80%が 若い女の子なので、
「皆、幸せね」と言うと
「そうかしら〜」とあまり気付いてない様子。
2008/03/30

日本語コーナー(詩舞)


日本語コーナーで、いよいよ詩舞を踊ることに。
詩舞は、着物と袴をつけて扇子を持って詩吟に合わせて踊るもので、もう10年ほど習っている。
舞台がわりに、07−04の教室が広いので、机、椅子を全部後ろへ寄せてもらい、かなり広い空間をつくってもらう。但し床はたたき。
黒板に、江南の春(中国の詩)と 母を想う(日本の詩)を書いて、内容も少し解説してから踊る。(劉先生が通訳をしてくださる)
皆初めて見るものなので珍しいらしく、真剣に鑑賞してくれる。
終了後、希望者に衣裳の着物と袴を着せてあげ、記念撮影。
中国の詩と日本の詩とを踊ったことで、又少し日本への興味を強くしてもらえるかな、となんだか少しほっとして、、、。

2008/03/30

開福寺


3月26日(水)10時からの06−04のクラスへ行くと、
生徒たちが「今日は、観音様の記念日です。御寺へ行きましょう」と。
早速、範先生に相談、了解を得て出かけることに。
とても込んでいるそうなので、
くれぐれも、車、スリ、には気を付けるように。
これは、私がいつも生徒から教えられていること。
でも今日は教師として、しっかり注意を。
あとは、何時も一緒に行動することを確認して出発。
寺に近ずくと沿道は店がびっしり、そして人、人、人。
広い広い寺の中を、入り口で貰った線香らしきものを手に、3回ずつ頭を下げてお参りして回る。
私はこの中国での楽しい日々に感謝と、そしてこれからの行程を見守っていただくようお願いする。
1時間ほど人ごみにもまれ、拝んで拝んでやっと出口に着いた頃には12時を回っていた。
帰りはバスで、全員無事帰還。
日本では、寺は年寄りのものと思われがちだが、中国では、最近若い人にも人気があるとか。
開福寺は唐の時代に建てられ、何度も改修されているが、昔から幾多の名僧が生まれているそうで、今では、湖南省の文化財として、保護されていると聞いた。
今日も、ちょっとくたびれたけど、でもいい体験だった。



2008/03/30

桜を求めて。


3月25日(火)06−04(中級クラス)の学生4人と植物園へ桜見物に。・
少し気になる天気だったけれど、週末は混むし、桜も終わってしまうからと決行。
菓子、果物、水(これは何時も必帯)を買ってバス乗り込み、約40分。
平日とはいえ、学生の団体も多く、賑わっている。
桜を求めて広い園内を、山を登り、また下りして、 やっと見つけた桜はもう半ば散っている。
何本もあるが、木の大きさ、花の色からすると、山桜
に近い種類のよう。
他に、数本、八重桜、しだれ桜、寒緋桜、うこんの桜のようなものも、、、、。
学生達は皆桜を知らない。
「これも桜よ 」と説明しているところへ、他の日本語学校の学生たちがやって来て、是非にと乞われて記念撮影を。
ここ長沙では、日本人も 欧米人同様、外国人として
珍しがられる。(そんな体験を今まで何度も)
少し行くと、今度は、アメリカからの一行と出会い、又記念撮影。
そして次は、日本人の一行と。
やはり日本語教師として 長沙明照日本語専修学院で
講議されているとか。
久しぶりに聞く 日本人の日本語。
あれこれ見て回って 約3時間余。
ぐったり疲れたけど、でも楽しかった〜〜。

2008/03/28

花屋


近くに花屋を見つけて もう三度ほど買ってくるが、何時も 花の種類が少ない。
バラ、ユリ、カーネーション、ガーベラ、グラジオラス、あとスターチスに似た白い花があるのみ。
ましてや 生け花の習慣がないせいか、枝ものは皆無。
大きな花屋さんならと覗いてみるが、同じ。
花が育たないのか、売れないから作らないのだろうか。
庭の草花を摘んで、活けることもできないから、
とにかく花だけは、桜も含め、日本が恋しい。

2008/03/28

盥で入浴

3月23日、気温は 何度くらいだろうか。
もうとっくりのセーターは少し暑く感じる頃だった。
学生と話していて、盥で入浴することを教えられる。
すっかり忘れていたけど、昔はよくやったもの。
さっそく、大きいプラスチックの盥を買ってきて、
ヒーターで上から温め、盥に湯をはって 温水シャワーも使っての入浴。
頭も洗って、気持ちいい〜〜。
これでもう毎晩さっぱり出来るし、疲れも取れる。
良いこと教えてくれて、本当にありがとう〜〜。

2008/03/26

中国料理


学生達が部屋に来て作ってくれる中国料理。
おいしいし、皆でワイワイ食べるから、ついつい食べ過ぎてしまう。
1つ、気がついたことがある。
レストランで食べる中国料理は凝っていて、鶏、鴨、牛など、肉料理も多いけれど、
学生たちが作ってくれる料理、あるいは中国家庭で出される料理は、野菜が主。
肉といえば、ほとんど豚肉を 塊で買ってきて、丁寧に細切れにし、野菜と炒める。
新鮮な肉、新鮮な野菜、それに色々なダシ(実にいろいろある)を使ってただ炒めるだけなのに、味はそれぞれ違って本当においしい。
ニンジン、キャベツ、ジャガイモ、そして菜ッぱ類はもちろんのこと、キュウリ、トマトも、中国では炒め煮がほとんど。
日本のように 生で食べるより、体を冷やさないので理にかなっていると思う。
日本に帰ったら、是非、きゅうりとハムの炒め煮、トマトと卵の炒め煮、など作ってみようと思う。

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2008/03/31

長沙の天気は変わり易い


3月に入って雨の日が少しずつ多くなり、半ば頃からは 殆ど雨。
そして晴れた日には、もうセーターでは暑く感じるほどに。
ところが どうかすると セーターを着ても 寒く感じるほど風の強い 小雨模様の日も。
だから、冬物がなかなか始末出来ない。
でも さすがにダウンコートは要らないので、クリーニングへ。
同僚の先生のお陰で、安心できる店で20元(340円)。

こんな天気なので けっこう風邪をひく生徒も多く、
はやく暖かくなってほしい。
明日からは もう4月。
中国へ来て はや1か月余。
文字どおり、あっという間の1か月だった。

2008/03/31

郵便局

3月30日、5通ほど手紙を出す(学生についてもらう)
封筒は専用のもの使用。(1枚1元5角)
郵送料は、日本へ 1通5元。
日本円にして、合計おおよそ111円。
郵便局は、土、日、休みと思いこんでいたら、土曜日どころか 日曜日もやっている。
時間も、9時から 夕方6時頃までとか。
何と便利なこと、、。
但し、局員は日本より ずっと無愛想。

2008/03/31

授業その5


学生たちの疑問、、助詞(が)(を)(に)(で)、 こ、そ、あ、ど etc、NICKYのお仲間の助けも借りて整理し、いざ生徒たちに教えようと思ったら、
日本語では微妙なところが分かりにくく、かといって中国語では説明できず、迷った末、文法を専門に教えていらっしゃる先生に 時間のある時 教えていただくことに。
失礼に当たるかと心配したけれど、本当に気持ち良く受けてくださる。
作文そのものは、4週目に当たる今回、皆とても良く書けるようになってきている。
慣れてきたのだと思うが、1回目の添削のことを思うと、随分手間が違ってきた。
間違いも自ら気付いたり理解できるようになって、字もきれいになっている。
皆、素晴らしい力持ってるんだ と嬉しくなる。

2008/03/31

郵便局


3月30日、5通ほど手紙を出す(学生についてもらう)
封筒は専用のもの使用。(1枚1元5角)
郵送料は、日本へ 1通5元。
日本円にして、合計おおよそ111円。
郵便局は、土、日、休みと思いこんでいたら、土曜日どころか 日曜日もやっている。
時間も、9時から 夕方6時頃までとか。
何と便利なこと、、。
但し、局員は日本より ずっと無愛想。

2008/03/31

長沙の天気は変わり易い


3月に入って雨の日が少しずつ多くなり、半ば頃からは 殆ど雨。
そして晴れた日には、もうセーターでは暑く感じるほどに。
ところが どうかすると セーターを着ても 寒く感じるほど風の強い 小雨模様の日も。
だから、冬物がなかなか始末出来ない。
でも さすがにダウンコートは要らないので、クリーニングへ。
同僚の先生のお陰で、安心できる店で20元(340円)。

こんな天気なので けっこう風邪をひく生徒も多く、
はやく暖かくなってほしい。

明日からは もう4月。
中国へ来て はや1か月余。
文字どおり、あっという間の1か月だった。

2008/04/01

毎日の食事


この1か月の間においしいお店をいろいろ教わった。
ワンタン、ラーメン、チャーハン、肉まんじゅう、餃子、豆腐、焼き立てパン、そして安くておいしいレストランに学生食堂。
時々学生がやってきて作ってくれる食事や、範先生たちにご馳走になる凝った料理もめちゃおいしくて、ついつい食べ過ぎる。
少しずつ買い物もできるようになって、、おいしいものには手が伸びる。
理想体重に喜んだのもつかの間、もう危ういかなあ〜
でもやっぱり、おいしいことは 幸せ! 

2008/04/01
時の流れは、ゆったりと
1か月は あっと言う間に 過ぎたけれど、
1日の流れは ゆっくりとしている。
分刻みで行動する日本と違って、何故か時間に追われない。
昼休みも2時間20分あるので、みな昼寝をしてから 午後の授業を受けている。
毎日の生活は 不便で 手間が掛るはずなのに、このゆったりした時の流れは 一体なんなのだろう。
2008/04/02

春告げ鳥?

毎朝鳴くのは本当にホトトギスだろうか。
ホーケチョがこの頃ホーケキョにかわって聞こえてくるけれど。
そして3月の初めころには6時過ぎに鳴いていたのが、3月の終わり頃からは、確実に6時前に鳴くようになっている。
しかも時間も長く、楽しげに2〜3分鳴いてから遠ざかる。
自然と一体で生きている鳥たちにとって、春は確実に近づいているのだろう。
小鳥の声に続いて7時過ぎからは、変わらず大音響の構内放送。
延々と歌が続く(時々日本の曲も、もちろん中国語で)最初は驚いた大音響だけれど、今は聞き慣れて、聞こえなければ淋しかったりする。
日本へ帰ったら、多分つくづく懐かしむことに。
2008/04/03

エイプリル フール

4月1日、エイプリルフール。
ここでも記念日として楽しむようで、朝から、あちこちで笑いが渦巻いている。
私も「先生、背中に何か変な物がついてますよ。」と言われて、慌てた。
彼らには「今日の授業は中止!、今から遊びに行きましょう!」とやったけど、すぐ見破られてしまった。
部屋に戻ると、あまり知らない生徒から「エイプリルフール、おめでとう!」のカードが。
娯楽が少なく 勉強、勉強の毎日。学生達は 小さなことにも喜びを見つけて、楽しんでいる。
私自身、日本では読めなかった 金田一春彦著「日本語」(日本語教師必読の書と言われている)をやっと読めるようになっている。
日本では 新聞を読むのさえやっとだったのに、ここでは何故か時間がある。
掃除、洗濯、炊事、etc、一応皆こなしているのに、テレビその他に時間を取られないせいだろうか。
全世界 1時間は同じ、そして一人一人に与えられている時間も。
何気なく過ごしている毎日だけれど、時間の使い方って 大切! と改めて感じる。

2008/04/04

清明節その1

4月4日〜6日は、清明節(日本のお盆のようなもの)で連休。
ほとんどの学生が故郷へ帰る。
従って、前日の午後から 生徒がぐっと減る。
07−04(初級クラス)は40人が22人に。
07−02(やはり初級クラス)は20人が1人に。
07−03(やはり初級クラス)は8人が2人に。
その為、午後からの授業は 全部まとめて合同でやることに。
一応どのクラスも「みんなの日本語」を30課までは習っているので、少しでも習った文型、単語を使う機会を増やそうと、次のような教室活動を。

今、何が一番欲しいですか。それはなぜですか。
今、どこへ一番行きたいですか。それはなぜですか。
今、何が一番やりたいですか。
将来の夢は 何ですか。

皆、真剣に考え、辞書を引き、友達に聞いたりもして書き、そして順次前に出て、発表。

07−04は一番人数も多く、しかも初めてのクラス。様子がつかめず心配したが、熱心な彼らの勉強態度に助けられて、スムーズに進行。
丁度時間内に、最後の発表が終わる。
1クラス内でも レベルの差は かなりあるが、皆互いに助け合って まずまずの発表を。
少し上達している学生などは、どんどん自分の発表を膨らませて、かなりな話をする。すばらしい!
3クラス合同 しかも25人、こんなのは初めて。
でも、何とか皆それぞれに力を出してくれたのが見られ、うれしかった。

2008/04/05

買い物その2


合同授業終了後、買物に。
気楽にはけるジーンズ、そして綿の靴が欲しくて、07−03(初級クラス)の二人に連れて行って貰うことに。
いざ出発となったら4人増えていて、総勢7人で出かけることに。
―旅2−のバスに20分程乗り、司門口で降りる。(一人でも来られるよう覚えておかねば)
大きなデパートヘ入り、皆であちこち探してくれて 試着。
やっと寸法の合うのが見つかり買うことに。
生地はしっかりしていて良いものなのに、119元。
その上2割引きになっていて、100元でおつりがくる。(日本円で1700円以下)
次は靴。綿の靴専門店で、やはり皆があれこれ探してくれて、ちょうど寸法の良いのを一足。
48元(480円) まことに履きやすい。
但し、たぶんひと夏かふた夏で履き捨てに。
平和堂(日本製品を専門に売る店)にも寄り、酢、醤油、塩、だしの素、鮭缶 を買う。
醤油は意外に高く、5合瓶で50元(850円) 
平和堂での合計は、150元(2600円くらい)
学生達がちゃんと計算していて、平和堂は高い!高い!と。
あと、学生たちが買いたかったチキンのから揚を買って帰る。
もう7時近いので 付き合ってもらったお礼に夕食をご馳走しようと思ったのに、
男子学生が「今度だけ、今度だけ」とご馳走してくれる。
取ってくれそうにないので今回は気持ちよくご馳走になり、次は私が、、、、。

2008/04/05

清明節その2


清明節の3日間の休み、どう過ごそうかなと考えているうちに、見る間に詰まってしまった。
3日間とも、学生達とお昼を作って食べることに。
第一日目、07−04(初級クラス)の10人が来て、
皆で餃子その他を作ってくれる。
テーブルに並んだ料理は8種類。お-豪華!
また食べ過ぎてしまうよ〜。
第2日目は06−04(中級クラス)の3人。
今度は種類は少ないけれど、ピータン、トマト、卵の入ったスープなど、凝った料理が。
また食べ過ぎてしまう〜。
3日目は、巻き寿司の講習会の5回目。
これで、一応受け持ちクラスの全員に教えたことに。
中にはちゃんと覚えて、友達に作ってあげる子も。嬉しい!

2008/04/07

授業、その6

授業の初めには、毎回必ず2〜3人ずつ トピックスあるいは自分の考えを発表することを、最初の頃から 続けている。
日本語上達には、とても有効な方法だと思っていた。
ところが、先日1人嫌がる生徒がいた。
無理強いになってはと思い、また今度ということで先へ進んだが、とても気掛かりだった。
いくら良い方法でも、生徒の負担になっているのでは
何もならない。
でも次の授業で、みるまに心は晴れた。
彼女は、その日、発表の準備が出来ていなかっただけで、今回は、進んで明るく発表してくれたのだ。
よかった!よかった!発表はこれからも続けよう。
何ヶ月か後には、きっと彼らの力になっていると思う。

2008/04/07

中国料理その2

劉先生の話によると、長沙は特にだそうだが、冬でもよく菜っぱ類を食べる。
八百屋には、クウシン菜、チンゲン菜、ホウレン草、菜の花、ニラ、緑の白菜、みつば、その他10種類以上もの緑の濃い野菜が並んでいる。
暖かくなったつい先日からは、ペンペン草も束にして売っている。結構買っていく人があるのでどうやって食べるのかなと思っていたら、劉先生の説明で納得。
3月3日は、このペンペン草を薬草として摂る習慣があるとか。
旧暦の3月3日は、利尿、解熱、止血に効く、このペンペン草を煎じて、卵、棗、その他を入れてスープを作り飲む日、だそうな。
食にこだわる中国らしい習慣。

野菜は、先ず油を使って炒めることが多いので、油は日本に比べると、びっくりするほど大きなペットボトルで売っている。
学生たちに作ってもらうようになって納得。
日本人のまず3倍は使う。
そうでないと、確かに中国料理らしいおいしい味にならないようだ。
女の子で料理が出来ない子が結構あるのに、男の子はほとんど料理が出来、しかもじょうずである。
これも日本とちょっと違うかな。

2008/04/09

自由な犬たち


中国へ来て驚いたことのひとつに、犬の放し飼いがある。
ゴールデンレトリバー級の大型犬でも、 皆 鎖はつけていない。
最初は怖くて、えっ えっ と思ったけれど、慣れるにつれて、とても羨ましく思うようになった。
日本ではどんな小さな犬でも、鎖 あるいはロープをつけて散歩させている。
自由に歩かせてやれたらどんなにいいだろう
でも、狂犬病とか、人に危害を加えるとか、の心配はないのかと聞いてみたら、飼い主がしっかりしつけているから心配ないとのこと。
すばらしい〜〜。日本もそうなったらいいのに。
でも、なかには鎖でつにでいる人もあったりする。
何故なのかは分からない。

2008/04/09

戸締り厳重な中国

戸締り厳重なのも、中国で驚いたことの一つ。
まず入り口。
普通の木の扉に加えて、もう一枚鉄の扉が。
そして、部屋の窓には全部鉄格子がはまっている上、硝子戸、網戸、全部に厳重に鍵が掛る。
バスの中でさえ、スリに気をつけるようアナウンスがされるくらいの中国では、 当然のことなのだろうか。
そう考えると、日本はまだまだ安全な国と言えるのだろう。

2008/04/10

授業その7

「みんなの日本語」の会話の部分は、
まず皆でリピートした後、ペアで順に全員読み、発音 アクセント のチェックを。
次に会話の内容を ペアで相談して、 一部変えて読むことを 続けている。
今日、07−02(初級クラス)は45課の会話「一生懸命練習したのに」を。 
内容はマラソン大会。
皆真剣に相談して、マラソン大会を バトミントン大会、競歩大会、自転車競走、数学オリンピック、体操、日本語の試験、料理などなど、思いがけないものにまで換えて、それにつれ、他の箇所もそれぞれに変化させて、見事に会話を成立させている。
9組中1組もだぶることもなく、短時間でこれだけの会話を作れることに、改めて感心する。
みんなすごい力をもっている。素晴らしい!!

/04/11

日本語コーナー(折り紙)


日本語コーナーで 折り紙を教えることに決めたものの、果たして皆興味があるのかどうかわからない。
担当クラスの学生たちに聞いてみると、「教えて欲し〜い」と言う声が圧倒的なクラスもあれば、折り方を知っている子がいるクラスもあったりする。
で、当日は、出来るだけ面白いものをと考えて、
紙風船と羽根の動く鶴を教えることに。
参加者は25人。
用意した色紙を4枚ずつ配る。
赤、ピンク、黄色など明るい色が人気。
男子学生も4〜5人参加していたけれど、意外に皆 丁寧に折って、完成。
風船が膨らんだり、鶴の羽根が動くのに、皆大喜び。
「先生有難うございました。」と頭を下げてくれる姿に、やってよかった! と。

2008/04/11

長沙の天気は変わり易い。その2


長沙の天気が変わり易いことを、又、改めて実感。
つい2〜3日前は、半袖に着替えても暑く、汗を拭きh拭き、帽子も欲しいと願ったのに、今日は、ウールの上着を着てもまだ肌寒い。
その上、昼間太陽がカンカンでも、夕方には土砂降りになったりもする。
どうしてこんなに変化が激しいのか。
日本では(特に日本の真ん中あたり、私の住む愛知県では)考えられない気候。
ここ長沙に住む人たちは慣れているけれど、日本から来た先生は、皆風邪をひくとか。
私は出発直前に、日本で風邪をひき、治ったところなので、幸か不幸か免れている。
でも、気を付けなければ と思う

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2008/04/14

学生達その2


学生達には、本当にいつもお世話になっている。
買い物、郵便局、写真屋でのプリントから、部屋の鍵、パソコン、トランクのトラブルに至るまで、何度助けられたか知れない。
特に、部屋の鍵、パソコン、トランクの時には、本当に本当に有り難くて、、、、。
部屋の鍵は、もう暗くなってきたというのに部屋に入れず呆然としている時、ホウさんと言う男子学生が来て、四苦八苦の末開けてくれた。
翌日、早速新しい鍵に換えてもらうことが出来、それ以来トラブルはない。 ホウさん本当に有難う!
パソコンは、ヨウさんさんと言う男子学生が何度も直してくれた。
ウイルスに感染したらしく、もう3度ほど調子が狂い、文字盤をたたいても文字が出ない。
三度目には殺毒ソフトなるものをインストールして直そうとしてくれたが、パソコンの防御装置が却って邪魔してうまくいかず、3時間ほども掛けて。
もし直らなければこの日記も送れないし、近く訪問してくださる日本のお仲間との連絡も取れない。
本当に本当に感謝だった。
トランクが開かなかった時には、魏さんと言う男子学生が、暑い日だったので汗びっしょりになりながら格闘してくれた。
トランクにはすぐ必要な物が全部詰まっている。
青くなって、祈る思いで見つめていた。
トランクが開いた時には思わず2人で飛び上がって喜んだ。
どんなにうれしかったことか、本当に有難う!
皆、皆、真剣に対処してくれたのに、お礼を言うと「たいしたことじゃありません」と。
頭の下がる思い。

トラブルといえばもうひとつ、トイレのトラブルが。
これは全く私のミスで申し訳ない。
使い方に慣れていないとはいえ、水の流し方が少なく詰まらせてしまったのだ。
範先生が飛んできてくださって、応援も頼んでやっと直して頂いた。すみません。これからは気を付けます。 

2008/04/16

中国の人は歌が好き


学生たちは勿論、大人達も、家で、職場で、あるいは道すがら、大声で歌っているのをよく耳にする。
小声で鼻歌などではない。
朗々と声を張り上げて。
大陸での、この時間の流れとこの国民性。
ああ、中国なんだと実感。
この雄大な国民性のせいか、ゴミの散らかりようも半端じゃない。
こんな所へどうしてゴミが捨てられるのかと、首をひねるほどに。
ある時など、家から出てきたお爺さんが、人通りの多い道の真ん中にゴミを捨てて戻っていくのを見た。
え、なぜ? 家にゴミ箱ないの?
そう言えば、ゴミ収集車をあまり見かけないけど。
ここは、長沙でも特に古い街、だから、こんなことも有りなのかな。

2008/04/17

杜甫記念館


同僚の先生が、お宅へ招いて下さる道すがら、杜甫記念館を案内してくださる。
1400首の詩を作り、民の苦しみに思いを馳せながら、湘江に浮かぶ船の上で亡くなったと言われる杜甫の足跡を辿る。
ここ長沙での詩も多く、湘江の堤沿いには彼の詩がいくつも刻んである。
この雄大な景色にして、この詩あり、、。
先生のお宅では、ご主人の手料理をご馳走になる。(やっぱり御主人なのだ。いいなあ。)
凝った料理が多く、本当においしい!
前に訪問した家がそうだったけれど、ここでもやはり超モダンなインテリアに見とれ、2歳になるかわいいお孫さんに大笑いし、お土産までいただいて帰る。有難うございました。

/04/18

ダンス教室

学生たちにダンス教室があると聞き、見学に。
学生会館の3階。かなり賑わっている。
まず、基礎からのキチッとしたレッスンに感心。日本の奥様向けの教室とはちょっと違う。
1日2時間、ほとんど毎日で、4ヶ月間の月謝が100元〈1700円)
モダンとラテンに分かれているが、ラテンはとても就いていけないので、モダンの時だけ参加することに。
学生たちが顔を見つけては大喜びしてくれ、先生の指導が受けやすいよういろいろ助けてくれる。
基礎からの練習はかなりな運動量に。でも汗をかいてとても気持ちがいい。
日本へ帰るまでのわずかな時間だけど、学生達とおおいに楽しむことに。



2008/04/20

湘江を散策


1週間ぶりの晴天。
嬉しくて教室に閉じこもっていられない。
幸い、07ー03(初級クラス)は順調に授業も進んでいるし、今日は外へ飛び出すことに。ワーイ!の歓声。
劉先生の了解を得、学生6人を連れ(と言うより、労わられてるのは、いつも私だから、連れてもらっての方が正しい?)歩いて5〜6分の湘江へ。
湘江の川沿いには、きれいに整備された小公園がどこまでも続く。
ここで天気のいい日には、朝早くから、太極拳、剣舞、中国伝統舞踊、などたくさんの人が集まって、練習を重ねている。
今日はこんな良い天気だから、凧揚げ(欧風カイト)を女性も交って盛んに楽しんでいたりする。
時には仲間に入れてもらい、ときには写真を撮らせてもらったりして、ゆっくり2時間遊んで帰る。
とはいえ授業中、なにか勉強になるようにと、単語の練習がわりに、しり取りゲームを楽しみながら学校まで。
久しぶりの日光に、皆の顔もキラキラ輝いていた。


2008/04/20

公園でバーベキュー


07−04(初級クラス)の学生達とのバーベキューの約束が2週間ぶりにやっと実現。
帽子が欲しいほどに暑い中、7人で出発。
南郊公園へは、バスで1時間。バスは時々ものすごく揺れる。何かに捉っていなければ危ないほどに。(これも日本ではまず経験しないこと)
公園は山そのもの。とても広いと思うが、これで小さい方だとか。
入場料を払って入ると、団体も含め大勢の人が。
炭、網、油etcを買って、用意してきた材料をすぐ焼き始める。
ソーセージ、牛肉、茄子、ピーマン、じゃがいも、ニラ、焼き豆腐、中身のない肉まんじゅう、それにバナナ。
え、バナナも焼くの? でも食べてみると、意外や意外、おいしい!
日本と違って、焼き方もダイナミック。
大きなピーマン、大きな茄子、バナナ、ニラ、etc 全部そのまま油と味付けだけして焼き、金網の上で切り裂いて食べる。
木々に囲まれ、さわやかな空気と素朴な味、おいしい!どれもおいしい!
お腹いっぱいなのに、又食べて、、、。
帰りは回り道して、運動しながら帰る。
学生の一人が「小学生の団体は贅沢だ」とこぼす。
食べ物を一杯残して帰ったようだ。
私の目からは若いと思える学生達にとっても、それより10年若い小学生の姿は目に余るよう。
一人っ子政策の影響も有りなのかも、とふと思ったりする。
今日は買い物からいろいろな準備、荷物運びまで、男性が2人いたとはいえ、本当にお世話だったことと皆に心から感謝。本当に楽しかった!

今日は、一つ大失敗したことも有り。
鍵を部屋に忘れて、ロックしてしまったのだ。
劉先生に連絡して持ってきていただいたが、自宅からは車で20分。本当に申し訳なくて、、、、、。
嫌な顔せず助けてくださる先生に心から感謝。
これからは、もっともっと気を付けます。

2008/04/20

歩きながらの食事


歩きながらの食事。これも中国で驚いたことの一つ。
もう見慣れてきたけれど、なかなか真似はできない。
公園あるいは行楽地でのアイスクリームやポップコーンとはわけが違う。
明らかに、朝食、昼食、夕食を歩きながら箸を使って食べるのだ。これも道理にかなってるのかな〜
学生から「体に良いんですよ」と聞いた。


2008/04/22

授業その8


07−04(中級クラス)の作文
テーマは、中国と日本について
先ず、国の大きさ、文化、習慣、の異同、そして女性が多いせいで料理に関するものを書く生徒も多い。
そんな中で、言葉の持つ意味の違い(すみません、どうも etc)、京劇と歌舞伎、資本主義と社会主義、などについて書く子も。
資本主義、社会主義については、皆に説明することが日本語では困難。本人に、中国語で説明を求めたが、これも、なかなか大変だった。
でも、こうして作文を読んでいると、日本への関心の強さを、つくづく感じる。(日本の歌、ドラマ、漫画はすごい人気) そして美しい日本への憧れも。
離れてみて初めて、確かに日本は美しい国だと、自分自身実感。空気も、水も、そして自然も、まだまだ日本は美しい国と言えるのだろう。
彼らはほとんどが20代。
彼らからは、戦争の傷跡は、まったく感じられない。
近づく北京オリンピックが、もっともっと世界平和の礎にならんことを。

ちなみに、生徒が使っていた(異同)と言う字を辞書で調べて、初めて知ったことがある。
異同の「同」は、調子を整えるための添えであり、異同は、異なるの意味しか持たないことを。
一つづつ、日本語についても発見の毎日。

2008/04/26

無線カード


無線カードでやっとインターネットにつなぐことができ、今日初めて自分の部屋で日記を書く。
3日間、四苦八苦の末の快挙で、その間日記も書けなかった。
本当に四苦八苦をしてくれたのは、07−04(初級クラス)の男子学生で、毎日4時間、5時間、3日目には7〜8時間もつきあって格闘してくれた。
もう重い鞄を持って学校の階段を登らなくてもいいし(数えてみたら104段あった)いつでも時間を見つけてはメールもスカイプもできるし、嬉しくてならない。
でもここまで来るには、ほかにも、範先生はじめ、劉先生、大竹さん、日本の家族、などにもいろいろ心配をかけてしまった。皆さん本当に有難うございました。
そして一番苦労をかけた彼には、感謝でならないのに、嫌な顔もせず付き合ってくれた末に、「問題があったらいつでも言ってください。いつでもいいですよ」と。
カード代金650元、ネット使用料260元(30元値引きで計880元=14,960円)
でも、目に見えない代金は一体いくらと言えばいいのか。感謝で感謝でならない。


2008/04/27

中国料理その3


中国の人はお粥が好き。
お粥専門の店がたくさんある。
私も初めて店に入り、お粥を食べた。
10種類以上のいろんなお粥がある。
私は、野菜粥を注文。
青菜の入ったお粥は、少しコーンの香りがして、とても美味しかった。
学生の一人が「私が明日お粥を作ってあげます」と。
作ってくれたのは、豚肉とトマトの入った、いままで食べた事もないお粥。広東の料理らしい。
ほかの学生は「ちょっとおかしい料理」などと言っていた。
広い広い中国、所により、料理も随分違っているもよう。

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2008/04/26

中国料理その4


学生が作ってくれる料理はおいしいのに、自分で作ると、どうもその味にならない。
つい学生食堂、外食、肉まん、あるいは簡単な卵料理で済ませてしまうことが多くなる中、同僚の先生たちが突如、材料携えやって来て作って下さったり、学生たちが「また行っていいですか」と尋ねてきて作ってくれたりして、皆に支えられている。
手早くて、何と美味しいこと。
こんな中でわかってきたこと。
日本の中華料理の味は、日本人向け。本当の中華料理ではない。
これが、本場の中国料理、家庭料理の味だと。
どこがどう違うのか、うまく説明できないが、まず素材の違い、そして味付けが、日本人の好みとは微妙に違っている(どうも日本人向けは甘口な気がする)
ここ長沙は、特に、辛い料理(唐辛子)が多く、四川よりも辛いと言われているだけに、唐辛子が真っ赤になるほど入っていることもあり、驚かされる。

2008/04/26

子供たち


大学の近くに小学校がある。
3時、4時ともなれば、ワイワイ楽しそうに帰っていく姿が見られる。
日本と大きく違うことは、見守りの大人が一人もいないこと。
店で買ったお菓子を食べたり、道端でコマを回したり、のんびり遊びながら帰っていく。
写真を撮ろうとしたら、ワーッと寄って来て、ポーズを。
みんな、素直でのびのびしていて、本当にかわいい。

2008/04/27

大失敗


やってしまった。大失敗を。
4月24日(木)の授業は8時〜、10時〜、14時〜の3コマ。
1コマ目の授業が終わった時、学生の一人が大きな声で「あー お腹空いた〜」と。
「もうお昼だもの、若いとお腹空くわよね」と思ったのが間違いのもと。
事務所へ戻り、荷物をまとめて宿舎へ。
用意がしてあった昼食を食べているところへ電話。
「先生、07−02(初級クラス)の生徒たちが待ってま〜す」と。
えー どうして―。
でも、はっと気づいて慌てて教室へ。
さいわい学校へは5分とかからない。
いつもはフーフーの階段も、今日は一気に駆け上がって。
学生たちには、しっかり謝って、授業開始。
みんなはニコニコしながら、大丈夫、大丈夫と言ってくれる。
でもみんなの顔を見てると、どうも私のドジを喜んでるみたいだな〜。




2008/04/27

歩行街


学校近くのバス停から、ー旅2ーのバスに乗り、20分ほどで歩行街へ。
長沙で一番繁華なところ。
靴を買いたくて学生を一人誘ったら、出発時には合計5人になっていた。
通りには、ずらりとおしゃれな店が並んでいて、学生達のグループも多く、あるいはカップルなども目立つ。
ここで発見が一つ。
学校の周りとはまるで違って、ここにはごみ一つないきれいな街並みが続いている。
そういえば、湘江あたりも、本当にきれい。
学校の周りの、あのごみの山とは比べ物にならない。
この差の大きさも、中国の特徴の一つと言えそう。
いろいろ店を回って、靴を2足。
彼女たちも、化粧品などを買って、帰りはしゃぶしゃぶの店で夕食。
日本のそれとはかなり違って、味付けした鍋の中にいろんなものを放り込んで煮て食べるもの。
私は、昨日のバーべキューのほうがずっとおいしいと思ったけれど、彼女たちは大喜びで食べている。
思いきりたくさん食べて、5人分計70元(1,190円) 中国は本当に食べ物が安い。

2008/04/27

しょう山(毛沢東の生地)へ


朝8時、範先生、劉先生、お子さんの典君(小学6年生)としょう山へ。典君は優しくて、聡明。「渥美先生、おはようございます」と挨拶されてびっくり。
車で、高速を使って、約2時間。
通り過ぎる景色は、丁度北海道を走るのに似て、どこまでも雄大。
目的地に近付くと、すごい人の群れ。
上海からの団体客さえあるとかで、人、人、人。
生家へは15分ほど並んで入り、「立ち止まらないで!」の注意を受けながら見て回る。
両親、本人、弟二人にそれぞれの部屋があり、台所、漬物部屋、食事部屋、会議用の部屋、コメ貯蔵室、脱穀、籾すりなどの作業室、牛舎、豚舎etc。
日本なら、さしずめ豪農に近い造りなれど、中国では中農にあたるとか。
彼が長沙第一師範大学で学んでいることからも、貧農とは考えられないのに、何を見、何を考えて、革命への道を進み、これほどの人となったのか。
もう少し、知りたい思いが、、、。
とにかく、中国の人にとっては偉大な同志。
記念館には、彼が亡くなった時の人々の悲しみがしっかりと記録されている。
思いがけず、良いところを見学させていただき、感謝。
今日は、本当は岳陽へ行く予定が、工事で高速がストップとのことで、こちらに変更。 幸いだったかも。
昼食にいただいたビール、歩き回った後にはおいしくて、帰りの車ではうとうと良い気持ち。
往復4時間運転の範先生には、誠に申し訳ない。
中国での忘れられない思い出がまた一つ。
本当に有難うございました。


2008/04/28

麻雀


ひと昔前、日本でも麻雀は流行っていた。
大学へは、勉強ではなく、麻雀の相手を探しに行く、などと言われたりもした。
でも今は、すっかり影をひそめ、学生の間でも麻雀の言葉は聞かれなくなった。
だが、ここ中国で、麻雀は根強い。
あちこちに店があり、あるいは道路沿いにテーブルを出して、そこかしこで麻雀が楽しまれている。
もちろん、女性も多い。
話の様子では、お金も掛けてあるようで、、。

2008/04/28

夜の湘江


夕方7時半、07−04(初級クラス)の学生7人と湘江(川沿いに小公園がどこまでも続いている)へ。
暗くなって出かけるのは、初めて。
昼間のあの美しいバラは見ることができないけれど、ここかしこに電飾が輝いて、船の上では大型スクリーンでオリンピックのP.R.も。
あちらこちらの広場で、ダンス、ローラースケート、二胡など、そして砂場、遊技場では、小さい子供たちも遊んでいる。
特にダンスは、社交ダンスから、ジャズダンス、民族舞踊に至るまで、たくさんの人が集まって楽しんでいる。文字通り、若者から、中年、老年に到るまで。
中国の人たちが、こんなにも楽しみ上手なのを改めて知る思い。常に大声で歌っているのもその流れなのか。
あちこちでダンスに加わり、ゴーカートに乗り、砂場で遊び、2時間ほどをゆっくり楽しんで帰る。
思いがけない中国の一面を垣間見た思いの、楽しい夕べ。
夜食にお粥を食べて、門限の10時半までには全員学校へ戻る。

2008/04/29

断水

今日の授業は、8時からの1コマだけ。
授業が終わり、トイレに入ってびっくり。
後始末がしてない。
次の所も、また次も。
よく聞いてみると、どうやら断水らしい。
学生の一人が、「先生の宿舎はまだ大丈夫だと思うから、早く帰って水を汲んでおいた方いいです」と教えてくれ、手伝いについて来てくれる。
台所とふろ場に、バケツで汲み置きをして、ほっとする。
でも昼近くまで、きれいな水が出るので、やっぱり宿舎は別かなと思っていたら、とんでもない。突如、茶色い水が。
手を洗うのもどうかなと思うほどの色で、動き始めていた洗濯機の中身が茶色に変身。
慌てて、汲み置きした水で手洗いをすることに。
なんだか懐かしい思いで、ジャブジャブ手洗いを。
昼食の準備もあきらめて、あるもので食べようと思っていたら、今度は又、いつの間にかいつものきれいな(と言っても飲めない)水に。
どうなってるのかな。でもとにかく嬉しい。
水がないとは、何と不便なこと。
改めて、いつもの当たり前な毎日に、感謝を。
そして、日本のきれいな水を懐かしく思い起こす。

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2008/04/30

長沙の天気は変わり易いその3


今年は、50年ぶりの大雪があったほどの異常気候。
そのせいか、先輩から、ここ長沙は3月の終わりには30度近いと聞いていたのに、とんでもなかった。
4月の終わりになって、ようやく本格的な暑さに。
部屋の窓を網戸にしたり、布団を薄くしたり、昼間には半袖でも暑いくらいに変わってきている。
今日、初めて扇風機(天井で大きなのが回る)のスイッチを入れてみる。
ゆっくり回るのに結構涼しい。
寝室のエアコンも試してみる。
電池を入れ替え、25度に設定し、ONにしたら、やった〜涼し〜い!
これで、これからの半端じゃないといわれる長沙の暑さにも、耐えられそう。

2008/04/30

中国のお茶


中国の人はお茶に限らず、よく飲み物を口にする。
それに、水道の水が飲めないせいか、どこへ出かけるにも、ペットボトルの水が必需品。
家庭や店で出されるお茶は、日本のお茶とは随分違っている。
茶葉は似ているけれどまるで薄くて湯に近いものが出される。
そう言えば、皆お茶より湯を、よく口にしている気がする。
そしてもう一つ驚くのが、茶葉が漉してないこと。
飲めば当然口に残る。どうにも飲みにくいものだけれど、中国ではこれが習慣で、皆上手に茶葉をよけて飲んでいる。
学生に、日本から持ってきたお茶を出すと、その色、香り、味、そして漉してあることに驚く。
おいしいと言う学生が多い。
遠慮して?それとも本当においしい?


2008/04/30

初めて一人で湘江へ


思いがけない断水で、4月30日(水)が急きょ、休校となった。
したがって、5月1日から4日までのゴールデンウィークが5連休に変わった。
ほとんどの学生は故郷へ帰って行った。
急に授業もなく、一日何の予定もないので、思いついて昼から湘江へ。
初めて、学生に頼らず一人で出かけてみる。
偶然、広場で祭典をやっている。
いつも広場で練習している人たちの、発表会に似たものらしい
何とうまい巡り合わせ。
早速真ん中に陣取って、と言っても、良いかどうか分からないので、隣の人に「ここ座ってもいいですか」とゼスチャアで聞いてみる。
最初は何か言っていたけど、そのうち、可以、可以(いいよ、いいよ)と。
何時から?と時計を指して聞いてみると、3点(3時)からと。
これは中国語でもよく解った。
まだ1時間もあるので、トイレへ。
隣の人にも、ちょっとそう言って席を立つ。(中国語で言ったけれど、通じたかどうか)
確か、さっき標識を見かけたと思い、矢印に沿って歩いてみるが、なかなか見つからず、3倍くらい歩いて、やっと見つけることができた。これも中国ならではと思う。
公園のトイレは汚いからと敬遠していたのに、ここは高級レストラン並みにきれい。
管理されている所はこんなにも行き届いているものか。これも中国ならではと感じ入る。
元の場所に戻ってみると、隣の人がちゃんと場所を確保していてくれて、座れ、座れ、と。
3時10分いよいよ開始。
それから、写真を撮ったり、見とれたり、と1時間は見る間に過ぎていった。

大音響の歌と踊りを目の前にして、なぜか急に、「ああ、今、中国にいるんだ」と言う思いが胸に迫ってきた。


2008/05/01

ゴールデンウイーク1日目、、、湖南省博物館へ


今、博物館は、入場無料サービス中。
一日、5000人が無料入場できる。通常は50元必要なのが無料なので、いつもすごい人らしい。
07−02(初級クラス)の学生に誘われ、朝7時、総勢10人で学校を出発、7時半から博物館前で並ぶ。
今日は5月1日、ゴールデンウィークの初日とあって、もう100人以上の人が並んでいる。
3時間近く待って、やっと入場。
でも3時間、待つ甲斐あり。
2000年前のミイラ、それが納めてあった棺、そして調度品の数々。素晴らしい展示。
何よりすごいのは、保存の良いこと。
まず20メーター地下に、保存のためのあらゆる方法を駆使し、棺もいくつも重ねて保存してあったらしく、発見された時には、今よりも、もっと完全だったとのこと。
とはいえ、ミイラ、衣類、その他の調度品は、今でも驚くほどにきれいな姿で並んでいる。
どうしてこれが2000年前のものと思えよう。
多くの人に揉まれ、時間の制限もあって、ゆっくりはできなかったが、なんと素晴らしいものを見ることができたことか。
2000年昔に、これほどの技術を持つ、中国の偉大さを改めて知った思い。
07−02の皆が誘ってくれたことに感謝。
博物館を出たのが11時半。
平和堂に寄り、米、カレールウを、そして学校近くで肉、野菜を買って、私の宿舎でカレーライスを作る。
おいしいと聞くのに、食べた事がない生徒も多く、かねてからの約束。
簡単に、出来るのに、評判は上々。
それに、今日はおなかもぺこぺこで、本当においしかった。

博物館でインド系の若い人たちに出会った。
聞いてみるとパキスタンの学生で、中国語を勉強に来ているとのこと。
英語で質問したのに、英語に加えて「学生です」と中国語でも答えてくれた。
私を中国人と思ってくれたらしい。


2008/05/02

小鳥たち


3月の初め頃には、6時過ぎに鳴き出していた小鳥たちが、3月の終わり頃からは、6時前に。
そして5月になる今日この頃は、5時過ぎには、もう鳴き出すようになっている。
やはり、しばらく囀ると、どこかへ遠ざかっていく。
大きな木が多いから、幸せなんだろうと思う。
大きな木と言えば、宿舎への道から見上げると、もう大山木の花が開きかけている。
日本でもお寺などにはよく植えてあるが、大きくなる木なので、家庭ではあまり見かけない。
ここには3本も並んで植えてある上、枝も垂れてきているので、花をよく眺めることが出来る。
調べてみたら、中国名は` hehua yulan。
花芽がいくつもあって、しばらく楽しめそう。


2008/05/02

ゴールデンウイーク2日目、、、買い物に


CD、DVDを買いに定王台(本屋が集中しているところ。本屋でCD、DVDも売っている)へ。
07ー02(初級クラス)の3人と。
あちこち見て回り、レインと東方神起のDVDを見つけて、1枚づつ買う。
海賊版ではないのに、合計63元(1071円) ええ〜こんなんでいいの〜。でもうれしい〜。
彼女たちは本を買って、次は歩行街へと足を延ばす。
白いチャイナ風のブラウスを1枚と白いサンダルを1足買って、これも合計で340元(5780円)
日本だったら靴1足も買えないのに〜。
楽しい買い物の後は、昼食。
彼女たちの間で人気の店である、四喜じゅ福堂へ。とても混んでいる。
私は(野菜と豚肉)入りのお粥とアイスクリームを。
彼女たちはチャーハンやうどん、そしてアイスクリームを。おいしかった!
今度、日本のお仲間とも来られるように、店の名前をしっかり覚えておく。
ところで、トイレを借りたけれど、こんな大きな店でもトイレにペーパーは置いてない。
やっと慣れてきたので、ティッシュペーパーは持参。
でもどうしてなのかな〜〜。

写真は歩行街のシンボルである、革命戦士の銅像の前で。



2008/05/03

ゴールデンウイーク3日目、、、岳麓山へ


07−04(初級クラス)、08−02(初級クラス)の学生3人と、バスに乗って15分、岳麓山へ。
入場料15元を払って、山を登り始める。
ゆっくり、ゆっくり、日本語の勉強をしながら、1時間くらいかけて頂上へ。
ここには、長沙のテレビ塔がある。
空気のせいか少し霞んでいるが、ゆったり流れる湘江の向こうにはビルが立ち並び、180度の雄大なパノラマは素晴らしい。
暑い日なのに、時折冷たい風が頬をなで、身も心も洗われる思い。
写真を撮ったりしてゆっくり休んだ後、今度は別な道から山を下りる。
途中には、野鳥園があったり、湖水に睡蓮が美しかったりで、やはり1時間ほどかけて麓へ。
麓には湖南師範大学があり、見事に大きな毛沢東の像が学生たちを見守るようにそびえ立っている。
湖南では1番有名な大学と言われているだけに、規模も大きく、周りにはにぎやかな学生街も。
その1角で、日本のお好み焼きのようなものを買い、昼食がわりに歩きながら食べて、バス停まで。
13時には帰宅、シャワーを浴びて一休み。
今日も良く歩いて、気持ちのいい時間だった。

鹿児島市日中友好協会、大石さんより、メールが入っている。
歩行街にある、辛亥革命の志士、黄興の銅像について知らせてくださる。
以前、気になって学生に聞いたことがあるけれど、何も分からなかった。これで少し解明。
日中友好協会HPには詳しいことが載っているとか。それに彼の墓が岳麓山の頂上近くにあるとのこと。 
え、なんという残念なこと。
今日せっかく近くまで行ったというのに。
長沙市民の誇りと言われる彼の墓、見ておきたかった。


2008/05/04

ゴールデンウイーク、、、4日目


学生たちに紅焼肉をつくってもらう。
先日、日本のOIA日本語教室(岡崎市国際交流委員会が開く日本語教室)のお仲間である橋爪さんから手紙が届き、いろいろ助言をいただいた。
長沙での見所とか、ぜひ覚えるといい料理とか(毛沢東の大好物だった紅焼肉など)
ほかに、近い将来、長期滞在で日本に入国するためには必ず日本語能力が要求、チェックされ、その為にも、日本語学校はますます重要になるということなどを。
さっそく、お勧めに応じて、昨日は岳麓山へ。
そして今日は、学生に紅焼肉を作ってもらうことに。
つくり方はしっかり覚えた。意外に簡単。
ほかにも広東風スープとか瓜の炒め煮などもあり、みんなでワイワイ食べる料理はいつもながら本当においしく、手紙がきっかけで又楽しい1日となった。
ところで、スープを作る時、骨付き肉からすごいアクが出たけど、やはり中国では取らない習慣のよう。
これもちょっと日本と違ってるかな。

こうして、いつもいろいろ助言がいただけることは本当に有り難く、先にいただいた、やはりOIAの先輩である山本先生の手紙も心に残る指針となっている。
「本当に中国人と仲良くなるためには、まずお互いの違いを発見するのが大切。そして分かり合える部分とそうできない部分とをしっかり掴みなさい」と。
何かをいっぱい掴んだ気はするけれど、まだ頭の中でも心の中でも、整理しきれていない気がしている。


2008/05/06

学生その3

教室で見る分には皆明るくて元気な学生たちだが、慣れてくると、それぞれ自分の人生を背負って生きていることが見えてくる。
同じように授業料を払ってこの学校に来ているとはいえ、貧富の差があり、家庭の事情も様々。
高校卒業後、一度は就職してからこの学校に来ている子が多く、卒業すれば殆どが仕事に就く。
もちろん、日本語を生かして就職したいと思うであろうが、大学卒に対抗するのは至難の業らしい。
なんとかここでの努力が実るようにと祈るばかり。
それに、ただ勉強熱心だとばかり思っていた彼らの中にも、勉強嫌いな子、ほかのことに夢中な子、悩みが多くて勉強に集中できない子など様々あり、そんな彼らに対して一体何が必要なのか、どう役に立てるのか、自問してみるが答えは容易ではない。
恋の悩みを話してくれることもある。
結婚の約束をしていたけれど相手が浮気だったので別れたとか、互いに愛し合っていたのに家柄が合わず別れたとか、一時は愛し合っていたのにお互い合わないことが分り別れた、などなど。
そして皆、今は、人を愛することが怖いと。
彼らにとっては本当につらく切ないことであろうけど、私から見ると、彼らは本当にキラキラ輝いて見える。こうして傷ついて、苦しんで、皆成長してゆくのだろう。
一つ大人になった彼らに、必ず本当の出会いが来ることを祈ってやまない。



2008/05/07

ダンス教室その2

先週の月曜日から、突如ダンスはお休み。
先生(主に教えられる女の先生)が盲腸の手術で緊急入院されたため。
1週間後、もう一人の男の先生とお嬢さんである先生とで再開。
30人以上あった参加者が少し減ったが、でも無事続いている。
やっぱり汗を流すのは気持ちいい。今日も出かけよう!
ワルツを踊っていると、学生たちが「先生 ハオ リーハイ(素晴らしい)」と言ってくれる。「シエシエ(ありがとう)」
でも、なんとか、ワルツくらいなら踊れるけど、ラテンはとても駄目。
若い彼らは、素敵。ほんとに美しい!

参加者は長沙大学の学生も多く、休憩中には、よく話しかけてくれる。
日本語がダメなので、英語で会話。
両方が片言なので、かえってよく通じて、面白い。
時には、担当クラスの生徒も加わって、日本語、英語、中国語の3ヶ国語で、すったらもんだの会話に。
若い人たちとの会話って、ほんと楽しい!。



2008/05/09

偽札


中国では、偽札が横行。
日常茶飯事らしく、お金を受取るときには必ずチェックするのが習慣。
スーパーでも、デパートでも、その辺の食べ物屋でも、100元どころか、20元くらいでも、触ってみて、透かして見て、確認の上で受取る。
最初はちょっと気になったけれど、慣れてきてもう苦にはならない。
こんな風に横行しているからか、偽札に出会っても、少しくらいならニュースにもならない。
毎日口にする命のもとである水にせよ、こういったお金のことにせよ、日本の10倍近い人口を抱える国としては、扱いきれない問題なのだろうか。
人口と言えば、生徒に「一人っ子政策」について作文を書いてもらったら、増えるばかりの人口を憂えて「1人っこ政策」を支持する子が多かった。
そして地球規模で考えても、中国は世界に貢献していると。

広い国土である上に、56の民族が集まっての13億の人口。
まとめることは至難の業だと思うが、オリンピックについては、国民一丸となっての意気込みが感じられ、いつも圧倒される。
皆一様に、心から喜び、期待し、心ひとつにしてオリンピックを迎えている。
日本では考えられない雰囲気。



2008/05/10

物乞い


日本にも、昔は乞食がたくさんいたことを思い出している。今はすっかり見かけなくなり、忘れていたけれど。
ここ中国と言うより長沙でなのか、毎日乞食を見る。
音楽を流して、あるいは曲芸のまねをして、また裸になって不自由な体を見せたり、転げまわったり、ただ黙って皿を突き出したりと、方法は様々だが、いたるところで見かける。
どうしたらいいのか、対応に戸惑う。
学生たちに聞いてみると、「取り合わない方がいい、自立しない」と冷静。
確かに、いちいち対応しきれないほどその数は多い。
日本も通ってきた道。
ならば、日本はそれほどに経済発展したと言えるのだろうか。

2008/05/10

日本語コーナー(巻き寿司)


今度の日本語コーナーは何がいいかな~と考えて、学生たちに聞いてみたら、「お寿司の作り方教えてくださーい」と。
えー、でもこんなに大勢なのににどうやって?設備ないしー。
でも、折角ならなんとかしてあげたいと考え、ある程度準備したものを教室へ運んで、やることに決める。
当日、6合炊きの炊飯器で2回ご飯を炊き、学生にも手伝ってもらって、何とか昼休み中に準備完了。
日本から持って来た まきす5本 が又しても大活躍。参加者は、遅れてきた人も入れて、およそ30人余
酢飯の上に、卵、キュウリ、缶詰めの魚を置き、自分でくるくる巻いて出来上がった時には、思わず歓声が上がる。続いて、おいし〜い!の声が。自分で作ったものは、ほんとおいしいよね。
よかった!よかった! みんな本当に喜んでくれるから、少しくらい大変でも、いつも必ず「良かった」と思える。こんな喜びをもらって私のほうが感謝。
教室の準備から後片付けを一生懸命やってくれた07−04(初級クラス)の学生たち、足りるかどうか心配だった 酢、のり をわざわざ買いに行ってくださった劉先生、本当にに有難うございました。





2008/05/11

中国料理その5


ここのところ、毎日学生に作ってもらった料理を堪能している。
まず、07−02(初級クラス)の学生6人。
マーボート―フ、じゃがいもの炒め、ニンジンと豚肉の炒め、チンジャオロースー、ゴーヤと卵の炒め、レタスの炒め、トマトと卵のスープなど、7種類ものおかずを見る間に作ってくれた。
素材を活かした味で、誠においし〜い。
次は、07−03(初級クラス)の6人と、親子丼、ピーマン炒め、空心菜炒めを作る。
「みんなの日本語」で親子丼を習ったけれど、みんな食べたことがないと言うので作ることに。
ところがみんなが買ってきてくれた鶏肉は、内臓も足もそのままついた半身の鶏。
中の1人が上手にさばいてくれ、無事親子丼は出来上がったけれど、もちろん丼の上には、足がそのままのっていた。
そして空心菜は手でちぎって、ピーマンは大きいのをそのまま炒めて。
次は07−04(初級クラス)の男子学生が作ってくれた魚料理。
鯉1匹をたっぷりの油で蒸し焼きにし、豆鼓(中国独特の調味料)とピーマンを炒めたタレをかけたもの。
思ったより油っこくなく、それほど魚に関心のない私でも、つい手が伸びるほどおいしかった。
最後は07−04の女子学生2人。ささげと豚肉の炒め、ゴーヤと卵の炒め、キュウリと豚肉の炒め。
肉は最初に、塩、醤油、油をまぶして少し置く。
野菜は少し水を差して蓋をし、蒸し煮にする。
こうして、いろいろ作ってもらっていると、地方により、ずいぶん作り方が違うこと(もちろん個人差もあるが)そして中国料理そのものは、味と栄養を生かすため、できるだけ手を加えずに作ることが分かってくる。
おいしい料理は、全部メモしておいたので、日本へ帰ったら、みんなに作ってあげられるかも。
でも、もしかしたら、ここ中国だからおいしいのかなあ。

長沙には名物の豆腐がある。黒い豆腐で、少し臭い。一度は食べてみたが2度と手が出ない。日本の納豆より癖がある。でも好きな人は結構多く、人気が高い。


2008/05/12

四川で地震


5月12日(月)晴れ、午後2時からの授業が始まって、30分もした頃、少し揺れを感じた。
まず生徒が騒ぎだし「地震、地震」と地震を知らない彼らなのに、慌てて席を立ったりする。
それほど大きな揺れでなく、日本で言うなら「揺れたよねえ」くらい。
とにかく、すぐ治まったので、ほっとする。
皆は「先生落ち付いてますねえ」と感心。
日本では、もっと大きい揺れが時々あることを説明し、地震の時にはむやみに外へでないように話す。
中に1人、鞄を持って帰りかけた子があったので。
夕方になって、生徒から、四川が震源地、マグニチュード7.5 と聞く。
死者が5000人にのぼるとか。まだ被害はこれから判明することだろう。四川が故郷の子もいる。心配。

写真は震源地wenchuan


2008/05/13

四川で地震その2


ここ長沙は、何事もなく落ち着いている。
だが、昨日の地震による死者5千人が、一夜明ければ、もう1万人に増えている。
そして震源地5万人と連絡取れずの報も。
聖火リレー中止の声も出ているもよう。
地震に慣れない国でのこんなに大きな地震、詳細が分かるようになれば、もっと被害は大きいかと思う。

中国に着いて、初めて上海を車で案内してもらった時、86階建てのビルを眺めながら「中国は地震がほとんどないからこんなに高いビルが建てられます」と説明を受けたことが思い出されてならない。

写真は、救出がかなわず、涙の隊員。


2008/05/15

四川で地震その3


5,12大地震と呼ばれる今回の地震。
やはり地震に慣れない国での大地震だけに、大変な被害になっていて、死者はすでに1万5千人を超しているもよう。
一番被害の大きいwenquanへは交通が遮断されたまま。
そして昨夜、四川省綿陽でマグニチュ―ド6,1の余震があったとも伝えられている。
余震で6,1とは、現地の人はどんな思いだろうか。
早く治まることを、ただ、ただ、ひたすら祈るのみ。

多くの子供が親を失っている。


2008/05/16

四川で地震その4


07−03(初級クラス)の8人と、お昼にチラシ寿司を作って食べる約束があり、今日がその日。
食後、テレビのニュースを見る。地震の報道。
ふと生徒が振り返るのを見たら、涙がボロボロ。
他の生徒たちも皆涙をぬぐっている。
4人の生徒を自分の腕の下にかばって亡くなった先生とその奥さんの「誇りです」の言葉。
何とも切ないけれど、その4人の生徒が助かったことだけがせめてもの救い。

学校では、献金、献血の活動を始め、皆もこれから献血の予定。

各地で被災者の無事を祈る活動が、、、。
写真は国旗をつなぎ合わせて、祈る人々、、、。


2008/05/17

四川で地震その5


今回の地震、中国では5.12大地震と呼ばれている。
国道317号線がなんとか開通して、遠回りだが、その道を通って物資が運ばれ始めた。
志願したトラックの運転手たちが、無償で配達しているとのこと。
ここ長沙でも、バス、タクシーが黄色いリボンをつけて、地震の犠牲者に哀悼の意をあらわしている。
市内の烈士公園には、大勢の人が集まって、被災者の奇跡の生還を祈っている。有効救援期間は3日と言われているのに、はや5日目になる。
4人の子供をかばってなくなった先生は、TANG先生と言い、湖南の人。遺体が今湖南に運ばれている。
死者は3万人近くに。詳細が判明すれば、五万人になるとも言われている。
大勢の人が肉親を失い、家を失い、大勢の子どもが独りになった。
そしてまだまだこれから、チフス、コレラ発生の恐れも心配されている上、ダム決壊の恐れもあるとか。

写真は被災前の美しいWENCHUAN


2008/05/18

日本からのお客様
ヤマサ日本語教師養成講座の大竹さん


ヤマサ日本語教師養成講座のお仲間が訪ねて来てくださる。
第一陣は、大竹さん。
仲間の中から、この長沙での日本語教師の第一歩を踏み出した大先輩。
そのおかげで、私は今ここに。
範先生の車で、空港までお迎えに。
13時25分着の飛行機を待つが、遅れるのは当たり前の中国。
1時間遅れて、やっと、大竹さんの姿を見つけて、ほっとする。
アモイで、長沙での以前の教え子の結婚式に出席してからこちらへ向かわれた大竹さんは、さぞお疲れと思ったら、とても元気。
ホテルへ落ち着いてから、昔懐かしい道を通って、学校まで歩く。
そして学生を誘って夕食に。
やはり懐かしいと言われる餃子の店へ。
学生たちは、大竹さんがかなり中国語を話せるので大喜び。
長沙弁の中国語も飛び出したりして、楽しかった。
明日は、第2陣の、牧野さん、鵜飼さんが到着予定。
お待ちしてま〜す。

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2008/05/19

日本からのお客様その2


昼2時からの07−03(初級クラス)の授業に、大竹さんをお迎えして。
まずクラス全員で歓迎の為に、中国の歌を1曲と四季の歌を日本語で。
それから、大竹さんに少し授業をやっていただく。
中国語の飛び出す授業に生徒は大喜び。

授業後すぐに、第2陣のお客様を迎えに、範先生の車で黄花空港へ。
牧野さん、鵜飼さん、無事到着。
ホテルへ落ち着いてから、範先生のご招待で夕食を戴く(泰皇食府にて)。珍しい料理が並び、なかにはカエルも。
何ごとも挑戦と、思い切って食べてみる。
淡白で、もし何も言われなければ、魚か鶏かとも。

鵜飼さんは私の部屋で泊まってもらうことになっているので、荷物を持って宿舎へ。
ちょうど作文テストの採点を迫られているところなので、さっそくアドバイスをお願いする。
力強い助っ人で、ラッキー!


2008/05/20

日本からのお客様その3


午前8時からの07−02(初級クラス)の授業に、大竹さん、牧野さん、鵜飼さんに参加していただく。
まずは、日本の歌、中国の歌で交歓会。
続いて、お客様の3人に、少しずつ授業をお願いする。
牧野さんを知っている生徒は多く、懐かしそう。
大竹さんも、牧野さんも、中国語が出来るので受けが良く、盛り上がる。
鵜飼さんは、私たち3人の先生でもあるので、ベテラン。上手に授業を進められて。

授業後、4人で歩行街へ。
お昼を食べてから、ショッピング。
と言っても私たち女性2人に男性2人は付き合ってくださって、、、。
すてきなパジャマ(シルクと綿ローン)2枚で257元(4369円)を買う。

帰りに、ホテルへ寄って、次なるお客様の部屋の下見を。
結構広い部屋で朝食夕食付なのに、一泊が300元(5100円)前後。
もっと高くて、悪いところも多いので、やっぱり良く選ぶことが大切らしい。

宿舎へ戻ってから、範先生と約束のバドンミントン練習場へ。
先生はまだだったので、お仲間が相手をして下さり、30分ほど練習。なんとか球が返せるように。
範先生の練習が始まってびっくり。めちゃうまい。
バドミントンもここまでくれば面白いだろうと見惚れて、、、。

9時、学生の誘いで、5.12追悼集会へ。
長沙大学のグランドに、ローソクで5.12の文字、それを囲んで無数のローソクが。
そして死者を悼む音楽と黙祷。
続いて頑張れwenchuan、頑張れ四川、頑張れ中国のシュプレヒコール。
死者は3万人を超した。ただ祈るのみ。


2008/05/22

日本からのお客様その4


5月22日(木)この学校(長沙科技日語学院)の学園祭が行われた。
スピーチコンテスト、日本語コーナー、模擬店などなど、盛りだくさんで、皆準備に忙しい。

スピーチコンテストには、私たち日本の4人も審査員として出席。
100名以上の学生の中から、18名が参加し、緊張しながらも、精一杯の熱弁を。 感動の一言!!。
中には実力が発揮できなかった子もあるが、この場に立っただけでも偉い!と本当に肩を叩いてあげたい思い。
レベルはいろいろだが、優勝の学生には、2年弱の勉強期間でよくここまで、と感服。

模擬店は、餃子、ラーメン、シュウマイ、コーヒー、紅茶などなど、ウェイター、ウェイトレスの練習もして、とても上手な客扱い。

日本語コーナーでは、浴衣の着付けを、私と鵜飼さんで。
皆、着物を着るのは初めてで、うれし〜い、きれ〜い、かわい〜 の声が飛び交う。
男の子も、かっこいい。一緒に写真を撮りたがる子が群れて。

7時からは、06-04(中級クラス)の卒業パーティー。歌あり、ダンスあり、スピ―チあり、そして最後にプレゼント交換をしてお開きに。
全員で歌った時には、お別れの実感で、もう皆歌うことが出来ない。2年間、勉強、そして生活さえも共にしてきた仲間。忘れられない仲間。
2年間の感想を聞いた時、ほとんど全員が、「一番うれしかったことは、良い友達が出来たこと」と。
皆、なんと素晴らしい宝を手に入れたことだろう。





2008/05/23

今日から貴州へ3泊4日の旅に


朝8時、大竹さん、鵜飼さんは帰国。
楽しい日々、本当に有難うございました。
夕方5時、牧野さんと私は、案内のホウさんと共に飛行機で貴陽へ3泊4日の旅に出る。
日本で友達になった、唐さん、譚さんにいよいよ会える。会ったら、中国語で挨拶すると、約束してしまったらしいので、懸命に練習を。

人と人との出会いとは、なんと不思議で、そして又素晴らしいものなのだろうか。


2008/05/23

貴州の旅(貴陽到着)


出発までは忙しく、06−04(中級クラス)の卒業試験の採点を何とか仕上げて、ホッとして出発。
貴陽で待っていてくれる唐さん、譚さんとは、はいむるぶし(八重山諸島の一つ、小浜島にあるリゾート施設)で出会い、友達に。
彼女たちは貴州大学の学生で、日本へ1年間の研修に来ていた。(はいむるぶしでホテルの研修を)
その彼女たちと、まさかこんな風に、又出会えるとは、想像もしていなかった。
空港へは譚さん、唐さん、唐さんのご両親、おじさんが出迎えて下さり、彼女たちとは抱き合って再会を喜ぶ。
今日は珍しいキノコ料理をご馳走しますと案内されて、スッポンと7種類のキノコの入った鍋料理を食べに。
日本ではなかなか食べられない松茸もふんだんに入って、スープが何とも美味しい。
最後の雑炊をお代わりまでしていただく。
唐さんのご両親はともに学校の先生。「娘がお世話になりました」と歓待してくださる。
ホテルはおじさんである万さんの配慮で、貴陽市内の5つ星のホテルへ安く泊めていただけることに。
その夜は、ダブルベッドに両手を伸ばし、ぐっすり眠る。



/05/24

貴州の旅(黄果樹瀑布へ)


おじさんである万さんの運転で、滝を見に。
日本では滝、でもこれは明らかに瀑布。
日本のそれとはケタが違う。
幅101m、高さ77、8m、ゴウゴウと流れ落ちる様は、世界で3番目と言われるにふさわしいと感嘆。
合羽を買って滝つぼに入ったり、素晴らしい景観に見とれながら、山を登ったり、下ったり、およそ5〜6時間は歩いて、万さんの待っていて下さる出口へついた頃には足が棒に。
でも素晴らしかった!忘れられない風景!

昼食は山菜と鳩の肉をご馳走になる。鳩は初めてだが、やはり何でも挑戦と、食べてみる。骨がごつごつしていて、味はよくわからない。山菜はおいしかった!。

ホテルに着いたのは、夕方8時過ぎ。
せっかくの休日を、一日付き合ってくださった万さんに、心から心から感謝。本当にもったいない思い。
お礼を言うと「僕も日本に行った時には、皆に良くしてもらったから、ご恩返しですよ」と。
この言葉が、今も心に深く残って、忘れられない。

画像3(右側)は、天心橋(自然が造った橋)


2008/05/25

貴州の旅(紅楓湖景区へ)


仕事でお忙しいご両親に代わって、今日も万さんの運転で、紅楓湖へ。
2〜30人乗りの船で、小さな島を巡る。
亀島、蛇島、dong族の民俗村、miao族の民俗村etc。
少し観光化されていて、あまり見ごたえはなかった。
昼からは、弘福寺へ。山全体に猿の放し飼いがしてあるqinlin公園を通って。
とてもバラエティに富んだ楽しいお寺。
十八羅漢、四天王像、お釈迦様の誕生から涅槃までの絵物語、仏弟子の像を自分の年齢だけ数えての占い(これは長沙の開福寺にもあった)コインを水中の壺にぴったり入れる占い、目を閉じて歩き、寿福の福へぴったり手を当てる占いetc、まるで遊園地のように楽しい趣向が一杯。楽しかったー。
帰りは、ホテル近くのマーケットで降ろしてもらい、学校の皆にお土産を買う。

途中で出会った中国人の観光客の一人から「このたびは、四川の地震に日本からの救援、本当にありがとうございます」と丁寧にお礼を言われて、恐縮。
長科日語の先生を含めて、もう3度目の体験。
日本では、あまり考えられないこと。
中国の人々の、民族は一つ、の心が迫ってくるようで、またもや圧倒される。




2008/05/26

貴州の旅(貴陽での最終日)


飛行機の時間に合わせ、今日は貴陽市内見物だけに。
朝7時半、近くのhe bing公園に出かけて、太極拳の仲間入りをさせてもらう。
牧野さんは日本でもやっていられるので、お手の物。
私は初めて。見よう見まねでやっているうち、汗びっしょりに。こんなにゆっくりした動きなのになぜ?。
9時には、ホテルへ戻り、バイキングの朝食。
お腹が空いているから、おいしい!
食後、ホテル近くの甲秀楼へ、のんびり、ゆったり散歩を楽しみながら出かけ、思いがけず良いお土産(中国独特の根付で、手彫り)を見つけ、30個ほど買う。
昼過ぎ、唐さん、譚さんがお別れに駆けつけてくれ、しっかり抱き合って、さようならを。

空港では、天候による遅れで、5時の飛行機が8時過ぎに。チケットを買い替えたり、すったらもんだの末、やっと牧野さんは次の目的地広州へ、私たちは長沙へと戻る。楽しかった旅は、見る間に終わってしまった。


2008/05/29

日本からのお客様第2陣


日本での中国語教室のお仲間3人が到着。
男性二人、女性一人。
夕方6時、学校からタクシーで20分ほどのホテルへ、学生一人に案内を頼んで会いに出かける。
再会を喜び、明日のスケジュ―ルを確認して別れる。
明日は、湖南省博物館見学の後、長科日語で日本語コーナーに参加してもらい、夕食後、夜の湘江を楽しんでもらうことに。
遠い日本から、よくぞ会いに来ていただけました。

昨日は、ダンスの練習日。
女の先生も、無事体調を取り戻されて、練習再開。良かった!
ただ残念なのは、06−04(中級クラス)の学生が一人も見当たらないこと。みな卒業してしまった。
四人ほどいて、卒業パーティにはとても上手に踊ってくれたことを思い出す。
時の流れとはこうしたもの。でもちょっと切ない。



写真は、先生たちのワルツ。


2008/05/30

日本からのお客様第2陣その2


お客様の鈴木さん、服部さん、山本さんの3人は、午前中、学生の案内で湖南省博物館へ。
そして午後2時からは、日本語コーナーへ参加していただく。
中国語で自己紹介。そして中国語と日本語で{北国の春}を歌って拍手喝采を。
学生たちは、中国の歌{友達}を全員で歌い、1人の女子学生が{qing zang高原}を素晴らしい声で熱唱、男子学生が太極拳を披露してくれる。
あと、山本さんに、茶道のお点前を披露してもらってから、それぞれのグループに分かれて、日本語で交流を。
予定の4時半になっても、話が尽きないほど盛り上がっての楽しい日本語コーナーとなる。

夕飯は、範先生のご招待で泰皇食府へ
蕨、ユリ根、鮑、カエル、エスカルゴ、豚足、ガチョウetc、またも珍しいもので、でもあっさりした味にて、誠に美味しい。3人も堪能された様子。

食後、夜の湘江へ。(学生たちと待ち合わせて)
ラッキーなことに、丁度、オリンピック聖火を迎える祭典が行われていて、素晴らしい歌や民族舞踊を鑑賞することが出来「充実した1日だった」と感謝していただく。
学生たちも、今日1日を、本当に喜んでくれたので、嬉しい。


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2008/06/01

授業その9(一人っ子政策)について


作文のテーマを(一人っ子政策)にして書いてもらった結果、いろんなことが分り、私自身も勉強に。
以下は、そのまとめ。

1949年解放後、中国の人口は、5億未満。人口は少なく、国も貧乏。
1960年代になると、対外関係が悪化し、戦争準備の必要から、毛沢東が人口増加を推奨し(人口=戦力)、加えて古来より、「子だくさんは幸福」の喩えがあるので、人口はどんどん増え続け、1970年代には8億になる。
1970年代前半には、一人っ子政策 が提唱、推奨の形で出される。
1970年代末、ケ小平は、国の方針を、政治力から経済発展、対外開放に移して、人口問題を重視し始め、1979年には、一人っ子政策が実施され、徐々に強化されて、1980年代には公民義務となる。
地域、あるいは部族により、対応には幅があり、都市は一人、農村は第一子が女の子ならもう一人は許され、漢族には厳しいが、少数民族には寛容。一人っ子の家庭は優遇され、二人以上の家庭は住居費、税金などが増額される。
いろいろ反発はあったが、現在では大都市の99%の家庭が一人っ子であると言われている。
2008年現在、人口13億の中国。一人っ子政策開始から30年近くたって、政策は軌道に乗り、現在働き盛りとなった一人っ子たちは、文革世代を押しのけて、中国経済の中核、あるいはリーダーとなって活躍している。
その結果、経済は発展し、子供はいい生活が出来、教育も受けて有能になってきているが、反面、甘やかされて育つため、問題っ子が増えたり、また高齢化社会到来への対応できなくなったりの問題も出てきている。(2030年には65歳以上が15%に)

以下、学生たちの意見、感想。
「中国の人口増加は、自国の発展のみならず、世界にも影響が大きいので、一人っ子政策 は必要。」
「自分も一人っ子にするつもり。」
「中国人民の生活をもっと豊かなものにするため、そして地球を守るためにも大切な政策。」
「一人っ子が有能になり、経済発展することを思うと、いろいろ問題はあるが、悪い政策ではないと思う。」
「政府が教育に力を入れれば、政策はもっと完璧なものになるはず。」
「一人っ子の立場を、もっとみんなに考えて欲しい。」
「せめて二人にしたら良いと思う。」
「老齢化社会を迎え、子供たちには深刻な負担がかかるはず、見直しが必要。」、
「高齢化対策、女性差別、過保護、etc問題も多いので、30年近くたった今、修正が必要。」
「中国の、一人っ子政策による人口増加抑制の成果は、経済水準が中程度の国においても、人口抑制が出来ることの証明になると思う。」

今まさに発展途上の国、若い彼らも真剣に考えている。

2008/06/01

四川で地震その6


5.12大地震の死者は、今日で6万7千8百人に。
当初、行方不明者の生存は到底見込めないので、死者は5万人に上るかもと言われていたのだが、とんでもない、もう7万人近くに。本当に大変な災害になってしまった。
中国の広さゆえにか、ここ長沙で四川に関連する人は少なく、生々しい話はあまり聞こえてこないが、どんなに多くのドラマが展開していることか。
加油(頑張れ)wenquan、加油四川、加油中国


2008/06/03

授業その10 新しいクラスを担当


06−04(中級クラス)の卒業に伴い、新しく、07−04(初級クラス)を担当することに。
今日はその初日。
総勢44人のクラスだけに、たぶんレベルの差も大きいだろうとそれだけが気がかり。
まず自己紹介を、生徒同士のインタビュー方式で始め、結構スムースに進んだので、カレンダーの読み方
物の数え方(ほとんど定着)を経て、教科書「みんなの日本語」へ移る。
ちょっとどうかな、と思う単語については、黒板に漢字を書いて(漢字を書けば、まず殆ど理解できる)、ゆっくり話したつもりだけど、すべての学生が理解できたかどうかは疑問。
察するに、後ろの方に座っている生徒ほど理解がむつかしい気がする。
聞こえにくいことも、影響してはいないだろうか。
これからよく観察することに。

午後3時から、何(か)先生とかねてからの約束の、社交ダンス練習場へ。学生が一人通訳について行ってくれる。
ー長沙市老干部活動中心ー と書かれた建物に入ると、かなりなスペースのホールに絶え間なく音楽が流れ、60代70代の紳士淑女が軽やかに踊っている。
かなりハイレベルな人々の社交場のようで、落ち着いた雰囲気。
何先生の妹さんご夫婦も一緒。
何先生も上手だけれど、妹さんご夫婦もかなりお上手で、特に御主人はリードがうまく、おかげで簡単なリズムなら何となく踊れてしまった。2時間が、あっという間に過ぎて、ほんと楽しかった!

帰りは歩行街へ寄り、テープレコーダーと電気スタンドを買って帰る。
電気製品は、安かろう、悪かろう の喩え通り、よく壊れる。電気スタンドなど、1〜2か月前に買ったばかりなのにもうだめになった。確かに安く29元(=493円)だった。
電球も数か月で切れたりもするから、よく選んで良いものを買わなければいけないのかもしれない。


2008/06/04

オリンピックの聖火ランナー


今日は、オリンピックの聖火ランナーを迎える日。
ここ長科日語学院の学生も、ほとんど全員(100人余)が出迎えに。私も行くつもりだったけれど、何時間も待つのが大変だし、危ないからと聞かされ、遠慮することに。
彼らは、朝5時半、校門に集合、学校から支給された朝食を食べて出発。湘江沿いの道路にて、カンカン照りの中、待つこと5時間半。
長沙市内で、208人の走者が聖火をバトンタッチするうち、ここを通る137人目のランナーを見送る。
みんな真っ赤な顔をしながら、感激冷めやらぬ面持ちで帰って来て、私の部屋で報告をしてくれたり、なおテレビのニュースに釘付になったり。
この日のために、学校は臨時休校。
オリンピックで興奮の一日であった。

郵便局から、日本へ、冬物などもう必要ないものを、船便で送る。1ヶ月余はかかる予定。
せっかく荷物はきれいに詰めていったのに、指定の箱でなければと言われ、2箱買って詰め替えることに。その上、中身は全部点検。見えないものは全部出して、確認され、やっとOK。
箱代+送料=437元(=7429円)
箱買い、詰め替え、点検、箱の包装、送り状書きなど、1時間近くかけてやっと終了。
もう5時近くなっていたので、局員に急かされ、日本の昔の郵便局を思い出したりしながら、、、。
でも今日も二人の学生に、しっかりカバーしてもらって、本当に感謝。一人では、とても出来ることではなかった。


2008/06/05

学生その4

いつもよくお世話になる学生の一人には、彼女がいる。
見ていて、とても微笑ましいカップル。
私の部屋で3人で一緒に食事していた時、私が「いい人に巡り合えてよかったわねえ。彼はなんでも直せるし、料理はうまいし、やさしいし」と言ったら、すかさず彼女が「ハンサムだしー」と。
普段はあまり話さない大人しい彼女なのに、、ああ何て素晴らしく支え合っていること。

クラスの仲間も彼らを優しく見守っている。


2008/06/06

お隣さん


北側の窓を開けると、すぐ目の前にお隣の家が迫っている。
こちらから見えると言うことは、向こうからも見えると言うことなので、冬の寒いうちは、締め切ったまま。
でも暑くなってきたら、開けずにはいられない。
丁度開けたら、小学生の女の子が2人、学校へ出かけるところ。
「Nihao(こんにちは)」と声をかけたら、「Nihao 」とにっこり笑って答えてくれた。

夕方、わらべ唄のようなものが聞こえてきたので覗いてみると、楽しそうに遊んでいる。
日本からのお菓子を差し入れしてみる。
やがて、さくら、さくら の歌が聞こえてくるので、もう一度覗いてみると、学校で習ったらしく、教科書もかざして見せてくれる。
「Hao li hai(上手!)と言ったら、お母さんも出てきて、一緒に嬉しそうに笑い返してくれる。
初めて会うのに、中国の人は、皆、友好的。
なんだか心がホカホカする1日。


2008/06/07

お隣さんその2


北の窓の方から、何か気配がするので開けてみると、昨日の女の子たちがいて、プレゼントを手渡してくれる。
中国のお菓子と手作りのカード。
「端午の節句おめでと」と中国語で。
そして「ありがとう」は日本語と英語でも書いてある。
スヌーピーやハートマークがいっぱいついたかわいいカードで、苦心のあとが見られ、嬉しくなる。
鉄格子の間から手を入れて、二人の写真を撮る。
ちゃんとポーズを決めてくれた。
明日、早速プリントしてあげることにしよう〜。


2008/06/07

天心閣へ


学生二人に案内してもらい、旅2のバスに乗り、20分ほどで、天心閣へ。
昔の長沙の中心であったため、周りには、万里の長城のような城壁がめぐらされていたらしく、今も、その名残が残されている。
2200年の歴史の中、天心閣は、何度も修復されているが、特に1938年には、日本軍の侵略により、大火で焼け落ち、日本人にとっては少しつらい記録が、映像になってしっかり残されている。
3階まで登ると、すばらしい眺望。様々な歴史を呑み込んで、平和な長沙が360度広がっている。
三国志の長沙にまつわる絵物語を読んだり、昔、食料、武器などを運んだといわれる秘密の抜け道を見たりして、2時間ほどで天心閣を後にする。


2008/06/08

範先生ご夫婦のお宅訪問そして西湖楼へ


先輩から、範先生のお家は素晴らしいと聞いていたので、楽しみに訪問。
期待にたがわず、劉先生のセンスが光った、とてもシックなインテリアの落ち着いたお住まい。そして設備はまるで高級ホテル並み。
ビルの1室だけれど、ビルの周りは広々として緑も多く、窓からの眺めはリゾート気分。
居間と食堂がワンルームになっていて、およそ30畳近い広さ。すごい!と思うけれど、でもこれで普通だとか。
台所なぞ、あまりに美しく、料理するのがもったいないほど。

お昼は、端午の節句の料理を食べに、西湖楼へ。
いつか車から眺めて話に聞いた、2000人収容のアジア1と言われるレストラン。
広さも建物の作りもずば抜けている。観光客の訪れも多いよう。
100人以上収容できると思われる建物に入り、席に座ると、正面舞台では民族舞踊のショウが繰り広げられている。
このレストランには、こんな建物が十以上あるとか。

端午の節句には、ちまきを始め、hongshaorou(毛沢東が愛した肉料理)、まこも、桃、塩卵etcを食べる習慣があるそうで、またいつものように珍しいものをたくさんご馳走になる。おいし〜い!
こんなレストラン、見るだけでも楽しいのに、そこで端午の節句を祝えるなんて、幸せでした〜。


2008/06/10

授業その11 授業前の発表


新しく担当する07−04(初級クラス)は「みんなの日本語」31課をやっているところ(初級の真ん中あたり)
授業前の発表は、今日が初めて。
どんな風に出来るのだろうか。ひょっとして無理かしらなどと心配していたのに、驚いた!
いきなり4人で出てきたと思ったら、寸劇のようなものが始まった。
ある喫茶店で、お見合いを始める という設定。
注文を聞くウエイトレス、女友達を彼に紹介する女の子。見合いをすることになる、男の子と女の子。
それぞれに、しっかり台詞があって、「失礼ですがお幾つですか?どうしてその年まで結婚しなかったんですか?」などのせりふで大受けになったりしている。
一人ずつ、何か話すか、書いたものをを読んだりするだけかと思っていたのに。こんな素晴らしいやり取りをしてくれるなんて、、、。
毎回こんな面白い発表やってくれるのかな、楽しみ〜

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2008/06/12

出た!ネズミ!


噂に聞いていたネズミ、ここへ来てから3ヶ月余、一度もお目にかかったことがなかったのに、今日、いよいよ登場!
トイレ兼シャワールームの戸を開けたら、目の前に。
私も驚いたけれど、向こうもびっくりしたらしく、大慌てで排水溝に飛び込んでいった。
3ヶ月間、一度も見なかったから、前任の市岡さんが言われる「ネズミが出ます」は一体何だったんだろうと思いかけていたところだった。
早速、忠告通り、扉に割り箸でつっかい棒をし、戸を開けるときには、どんどんと音をたててから開けるようにする。
落ち着いて思い返してみると、まだ小さいネズミだった。大竹さんに脅かされたように、でっかいネズミじゃなくて良かった。
30年ほど前、古い木造家屋に住んでいた頃には、夜になると、ネズミがコトン、コトンと階段を上り下りするのを聞いたもの。

本当に何もかも、タイムスリップしている思い。


2008/06/14

中国の人はいつも体を大切にする。

家庭料理ひとつとってみても、医食同源が生きていて、中国の人は、いつも体を大切にしている。

ところが最近、また別なことに気がついた。
風邪を引いた時、あるいは女性の毎月のめぐりの時、学生たちは、決して冷たいものを食べないのだ。
最初は一部の人だけかと思ったけれど、そうではなく全員。そして徹底して食べない。
日本では、経験したことがなかったので、中国の人の体への配慮に少なからず驚かされる思いだった。
そしてここでまた疑問がひとつ。
中国の人の平均寿命は、日本人よりおよそ10年短い。こんなに気をつけていて、なぜ?
日本人のほうが、ずっといい加減な生活習慣なのに。

平均寿命の差の、真因は?

2008/06/16

本の町−定王台ーへ


学生二人と、ー旅2ーのバスに乗り、20分くらいで、本の町ー定王台ーへ。
12月に行われる日本語能力試験の申し込みがいよいよ始まり、みな参考書や問題集が必要になってきている。

定王台はとにかくすごい。
ビルに入ると、間口1間、奥行き2間ほどの本屋がびっしり並んで、ざっと数えても100軒ほど。
それが1階、2階、4階と続いている。
人口の多い中国、しかも成功のためには努力を惜しまない若い人たちでいつも溢れている。
学生二人も熱心に本を探す。
内容を調べ、見やすいかどうかを調べ、値段もしっかり比べ、1時間ほどかけてやっと決定。

こうした様子を見ていると、これからの中国の底力を感じずにはいられない。
将来の夢はと聞くと、男性に限らず、女性も、夢は大きく、社長になりたいとか、店を持ちたいとか。
ほとんどの子が、明確に、しっかり夢を持っているのに驚かされる。



2008/06/18

断水その2


3〜4日前、学生たちと夕飯の支度をしようと思ったら、水が出ない。
え、どうしてーまた断水?
私は焦ったけれど、学生たちは落ち着いている。
「もう少しすれば出るから待ちましょう」と。
日本語能力試験の問題を勉強したりして1時間。
ジャーと水が出始め、早速料理に取り掛かる。
夏になると水の使いすぎで、断水は時々あるらしく、皆慣れているもよう。
その日から、時々こんなことが繰り返されるので、学習して、朝一番に、水を汲み置きしておくことにする。
このところ、学校の前の道は、改修工事が続いている。(とにかく古い町だから、道はでこぼこで、改修が必要)
どうもそのために、頻繁な断水が発生するらしい。

それにしても、日本だったら、断水の前には必ず通知があり、それなりの心づもりをして待つものだけれど、ここ中国では、一切連絡なし。突如断水。
それを怒りもしないで待つ様子には、少なからずカルチャーショック。

そして、いきなり出てきた水って、すぐ使っても大丈夫かな〜とも。


2008/06/19

日本語能力試験、申し込み開始


日本では、日本語能力試験の申し込みは8月くらいだが、ここ中国ではとても早くから始まる。
1級は6月10日から。2級は6月16日から。
受験費用は、去年190元だったのが、今年は一挙に350元に。
それでも受験する人はとても多くて、去年は5万8千人だったとか。今年は?
この学校の生徒も、もちろん殆どの生徒が受験するので、毎日ネットバーへ出かけては申し込みに必死。
でもなかなか成功しない生徒が多く、やっと出来ても、会場が遠かったりして大変。
それをクラスメートがみんなで心配しあっている。
本当に皆まるで兄弟のように助け合っているのを見ると、胸が熱くなる思い。



2008/06/21

日本語能力試験 その2


日本語能力試験の申し込みが始まり、試験への関心が一挙に高まってきた。
ここでの残り少ない日々、何か少しでもお役に立てば、と日本語能力試験の特訓をすることに。
聞いてみると、やはり皆聴解が一番苦手だと。
07−02(初級クラス20人)、07−03(初級クラス8人)、07−04(初級クラス40人)をそれぞれに分けて、夕方7時から9時まで、私の宿舎でCDを聞いての聴解練習を始める。
一昨年、昨年の、1級、2級の聴解問題をやるのだが、まだ皆にはかなり難しく、半分あるいは半分強の正解率。間違った問題については、単語から説明をして、答えが納得できるのを聞いては、ほっと一息。
能力試験問題は初めて、と言う生徒も多いから、これで慣れてくれば、そして勉強の進んだ秋ごろには、きっとずいぶん易しい問題になることと思う。
それに、問題にあたれば目標が出来て、勉強への意欲も違ってくるのでは、と期待している。
皆、自分自身の為に、あるいは家族の為に、成功を夢見て必死に頑張っている。
どうか、一人でも多く、目標をパスしてくれますよう。
ただ、ただ、祈るばかり。

2008/06/23

岳麓書院へ


08−02(初級クラス)の学生6人と、岳麓書院へ。
当然バス停からと思っていたら、「車へどうぞ」と言われ、カローラ級の乗用車の助手席へ。
学生の一人が親の車を借りてきていて、運転してくれるもよう。
でも総勢は7人。残った2人はどうするの?と心配していたら、5人いっぺんに、後部座席へ乗り込んでしまった。
え〜、警察に捕まったらどうするのー。
でも中国(いや、ここ長沙ではかな)まだ大丈夫らしく皆悠々たるもの。でも窮屈じゃないの?悪いなあー。
ありがたいことに、車にはクーラーが効いていて、誠にさわやかに、みるまに現地に到着。
岳麓書院は、北宋開宗9年(西暦976年)に建てられ、宋真宗皇帝が岳麓書院と名付けたもので、西暦1903年には湖南高等学堂に、そして1926年には湖南大学となり、世界でも珍しい千年学府として残されている。
入場に当たって、60歳以上は無料とのことで、学生たちが盛んに交渉してくれるが、パスポートを持参していないので、規定どおり30元を支払う。学生たちも学生証があれば半額なのだが、やはり持っていないので、同じように支払い、ひとつ学習。
いつものことながら、中は誠に広い、広い。
およそ20箇所近くを歩きまわり、3時間ほどかけて、なんとか見終わる。
さすが中国、これほどの規模のものが、千年前から作られ維持されてきていることを思うと、歴史の重さを感じずにはいられない。
昼近くなっていたので、学校へ戻り、私の宿舎でカレーライスと日本の卵焼きを作って皆で食べる。好評。
夕方にはホウさん(貴州の旅を案内してもらった学生)とその彼女が来室。日本へ帰る前の、張家界への旅についての相談の為。その前に、二人で夕飯を作ってくれる。魚のスープ、ささげ炒め、湯葉の漬物風、卵焼き。もちろん魚は生きているのを買ってきて調理。誠においしいスープ。
中国では、鶏も鴨も魚も蛙も、皆生きているのを買ってきて調理することが多い。残酷なようだけど、日本でも目の前で見ないだけで、殺して食べていることには変わりはない。
命を食べては生きていることを、中国では毎日実感している。





2008/06/25

長沙市老干部活動中心


3週間ほど前、何先生に誘っていただいた、長沙老干部活動中心(退職公務員活動センター)のダンス練習場へ、今日、再び出かける。
何先生の妹さんご夫妻は、ご主人の調子が悪く、今回は欠席との話だったが、私が日本へ帰ってしまうと聞き、又わざわざ来ていただけたとのこと。感激!
ご主人のリードはやはり素晴らしく、又楽しいひと時を。慣れてきたせいか、進歩が早いと言ってほめていただく。
楽しい時間はあっという間で、くれぐれも健康をお祈りしてお別れすることに。

夕方6時から、07−04の学生たちが夕飯を作りに来てくれる。
今日は魚料理が2種、へちまのスープ、トマト入り卵焼き、ナスとピーマンの炒め、ニンニクの茎と肉の炒め、ピーマン入り卵焼き、湯葉の漬物風、それにかわいい丸い餅の入ったデザート。
魚は、広東料理と湖南料理で、まったく違う味。
お世辞じゃなく、どちらもそれぞれの味で、本当においしかった!
初めて口にするデザートは、別腹でいただく。
最近はっと気付けば、どうもお腹が出てきている感じ。
せっかくスリムになったと喜んでいたけれど、こんなに毎日おいしいもの作ってもらっていると、痩せるのは無理かな〜。


2008/06/26

学生達その5


授業前の発表、最初は、皆恥ずかしがったり、嫌がったりするのかなと心配したのに、とんでもなかった。今では、一人一人の発表から、4〜5人での寸劇になったり、朗読劇になったり、思いもかけない方向へ発展している。
何より皆が自発的に楽しんでくれるのが、うれしい。
昨日は07−04の寸劇 ーある日系企業の面接場面ー
今日は07−02の朗読劇 ー鶴の恩返しー
いずれも素晴らしい。
こんな力を皆隠し持ってるんだ、と改めて驚かされる。
やっぱり、若いって、素晴らしい!!

2008/06/26

07−03(初級クラス)卒業


07−03(初級クラス)がとうとう卒業。
最後の授業である会話テストの後、紅茶とお菓子で乾杯を。
皆の1年の思い出は、やはり、「いい友達と楽しかった」と。
素直で明るく楽しいクラスだった。何か胸につかえていることがあっても、このクラスに来るとほっとしたことを思い出す。
卒業後は、皆仕事に就く。辛いことも増えるだろうけど、加油!(がんばれ!)日本語能力試験もね!

思いがけず、皆からプレゼントをもらう。
四葉のクローバーのペンダントとブレスレット。
皆にとっては貴重なお金なのに、と思うともったいなくて、、、大切にします。


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/06/29

中国料理その6


06−04(中級クラス、5月に卒業)の学生から電話があり、部屋に来て料理を作ってくれる。
ところが実際に作ってくれたのは、一緒に来た友達の男性。 昼食だけでなく、夕食までも。
とても手早くて、一人で見る間に5〜6種類を。
魚の蒸し煮、豚肉とねぎと落とし卵のスープなどは、あっさりしていて、日本料理かと思うほど。
おいしい!
昨日学生が残していった材料の春雨があったので聞いてみたら、ちゃんと1品になって出てきた。すごい。
どうして中国の男性は皆こんなに料理がうまいの?
私が出会った人が偶然皆そうなの?

二人に浴衣を着せてあげて、記念撮影を。



2008/06/28

中国料理その7


07−03(初級クラス、今月卒業)の学生から電話があり「クラスメートと一緒に遊びに来てください」と。
朝8時、07−03クラスメート4人と出発し、バスで1時間余。大きな木の茂るさわやかな道を通って彼女の家へ。
ご両親揃って迎えてくださり、昼食だけでなく夕食までもご馳走になって、楽しい1日を。
料理はやはりご主人が。但し、下ごしらえは、奥様。
おいしかったのが、hongshaorou(毛沢東が好んだ肉料理)。独特の香辛料とニンニクを入れ、2〜3時間煮込んで作られたとか。いつか学生に作ってもらったときは簡単だったけど、作り方も方もいろいろあるもよう。作り方を書いてくださり、香辛料もいただく。
お母さんはとても若々しく明るい方。二度目の訪問を心から喜んで下さり、名残を惜しんでも下さる。

お母さんにも浴衣を着せて差し上げ、記念撮影を。


/06/30

近づいてきた別れの日


明日は最後の授業。そして翌日、翌々日とテストがあり、それが終われば夏休み。皆一斉に故郷へ帰っていく。
私の任務も、テストまで。そして、皆とお別れ。
もう2〜3週間前から、なんだか落ち着かないような切ない気持ち。
4ヶ月は夢のように過ぎて、私は抱えきれないほどの宝物を手にして、佇んでいる。
毎日、ノートに日記を書いたけれど、それを辿るまでもなく、1コマ1コマがしっかり浮かんでくる。

学生たちに心から感謝したい。
温かい心をたくさん、たくさん有難う。忘れません。

/06/30

中国料理その8


07−04(初級クラス)の学生から、電話あり。
「夕飯作ります。何が食べたいですかー」と。
彼女の餃子がおいしいことをはっと思い出して所望。
クラスメート6人とテーブルを囲む。
空心采炒め、トマト卵焼き、にんじん炒め、ジャガイモ炒め、魚煮つけ、にら餃子が並ぶ。
魚と餃子は特においしかったー。
暑い日なのに調理本当にご苦労様。ごちそうさまでした〜。感謝で〜す。

明日の最後の授業は、お別れパーティ式にと、楽しいゲームを皆で考え、やってみる。
お酒など入ってないのに、みんな乗り乗りで盛り上がる。若いってことはそれだけで楽しく、すばらしい。

2008/07/01

お別れパーティその1


07−04(初級クラス)の最後の授業は、学生たちで企画してくれたお別れパーティになる。
呼ばれて部屋に入ると、皆、両脇に並んで出迎えてくれ、日本語で「幸せなら手を叩こう」の大合唱。
それだけで、もう胸が一杯に。
「何か少しでもお役に立てば、とここまでやって来たのに、反対に、私の方がみんなから温かい心を一杯もらってます。本当に有難う」と言うのが精一杯。言葉にならない。
ゲーム、歌、ダンス?、そして担任の先生も引っ張りこんで盛り上がり、たくさん写真撮影も。  
楽しかった!
みんな、みんな本当に有難う!!

2008/07/02

お別れパーティその2


07−02(初級クラス)の会話テスト終了後、そのままお別れパーティが始まる。
まず皆で感謝の言葉を伝えてくれてから、寄せ書きのノートをプレゼントしてくれる。
一人、一人写真、プロフィール、住所、電話、メールアドレスも入って、日本語でお別れの言葉が書いてある。なんと嬉しいプレゼント。
簡単に挨拶をしたけれど、やはり言葉にならなくて。

担任の先生も一緒に、日本の歌、中国の流行歌、民族音楽etc一杯歌って、そして記念撮影で楽しむ。

日本へ帰ったら、ノートをひらいて、ゆっくり思い出をたどろう。みんな、みんな、ありがとう!


ー帰国予定ー
7月13日(日)夕方、日本へ帰国の予定。
今日、明日(7月2日、3日)で、担当クラス(07−02クラスと07−04クラス)の会話のテストが終わり、採点を済ませば、学校での任務はすべて終了。
学生の何人かに応援を頼んで、部屋の後片付け、大掃除をきちんと済ませ、7月5日にはここ長沙を発つ。
そのまま帰国する予定だったけれど、たぶん、もう二度と来られない中国、この機会に少しでも見ておこうと、元、旅行ガイドの学生(以前貴陽へ案内してもらったホウさん)に今度もお願いして、鳳凰、張家界へ旅することに。
そして7月13日には張家界から上海を経て、日本へ。
ここまで病気、怪我もなく無事過ごさせてもらえたことに感謝。もう少し守ってもらえるよう祈って、最後の一瞬まで中国を知る旅を。

2008/07/03

2008年上学期、会話総集編としてのテスト


会話テスト。
07−02(初級クラス、20人)、2時間。
07−04(初級クラス、44人)、3時間。
時間はしっかり割り振って始めたものの、自分からどんどん話してくれる学生も多くて、20〜30分オーバーしてしまう。
採点は、文型、イントネーション、あいづち、会話の流れを中心に。
あいづち、会話の流れについては、ほとんど問題ないが、文型はやはり難しく、レベルの差がかなりでる。
それでも、短期間のうちにここまで話せるようになっている彼らに、改めて感服。
夏休みも、ほとんどの学生が、日本語能力試験に向けて、本腰を入れるつもりでいる。
まったく、中国の若者からは、学ぶことが多い。

他に文法、読解、聴解とすべての試験が終わり、昼からは、8人ほどが部屋の大掃除の手伝いに来てくれる。
私たちが郵便局へ荷物発送に出かけている2時間間程の間に、誠に隅々まできれいにしてくれて、本当に感謝。
特に台所の油汚れは、大変だったと思うのに、頭を下げてお礼を言うと「そんなこと言わないでください。たくさんお世話になったから、するべきです。」と。
本当に、本当に有難う。
少しおしゃれなレストランで夕食をご馳走してから、皆で湘江へ。
丁度、幼稚園児の卒園記念イベントが行われている。
小さいのにうまい!かわいい!
2時間ほど見とれてから、時折上がる花火と色が変わっていく橋のイルミネーションを楽しみながら、学校へ戻る。

2008/07/04

長沙科技日語学院での任務終了。


夕方、範先生が送別会を開いてくださる。
感謝状をいただき、記念撮影を。

4ヶ月前、期待と不安一杯で始まったここでの生活は、まるで夢のように過ぎて、任務終了。
長沙ともお別れとなる。
「勉強したくて目がキラキラしている学生たちに会うのを楽しみに、女性にしか出来ないことで何かお役に立てれば」との当初の目的は、何とか果たせた思い。
たくさんの学生に、お抹茶の飲み方を教えることができたし、浴衣は何人の学生に着せたか覚えがなく、絹の腰紐が破れてくるほどに。みんなちょっと恥ずかしそうに、そして幸せな笑顔を見せてくれた。

ここに来られたことに、まず心から感謝。
何か少しでもお役に立てばと来たはずなのに、気がつけば、私の方がたくさん宝物をもらっている。
先生から、学生から、町の人たちから。
特に学生たちからは、教えられ、助けられ、支えられ、暖かい心で包み込んでもらった。なんと感謝したらいいのか、こんな時には、言葉を探すのがもどかしい。
みなさん、有難うございました
みんな、みんな、本当に有難う。

遠く日本から支えてくださったみなさんにも心から感謝。友人、隣人、NICKYのお仲間、OIAのお仲間、そして日中友好協会の大石さん、
本当にありがとうございました。

そして、この日記を読んでいてくださった方にも、
心から感謝申し上げます。

今日で、ー渥美栄の長沙スケッチーは終ります。有難うございました
      


渥美 栄の長沙スケッチ

平成20年3月から長沙科技日語学院で日本語教師として勤務された  ATSUMIさんの滞在日記です。

 (メッセージ)ハッと気づけば人生の大半を終えている自分を見つけました。いろんなことがありましたが、幸せでした。せめてこれからは御恩返しの人生を と考えて、ボランティアの日本語教師を始めました。
 そして教師養成講座へ通ったことから、今度の中国行きに繋がりました。私の前には二人の立派な先輩がいます。とても心強いです。そしてお二人の真似は出来なくても、せめて女性にしかできないことで何かお役にたてればと願っています。先輩から聞いた、勉強したくて目がキラキラ輝いている彼らに会うのを楽しみに。