池田公栄・九江学院日本語教師日記
K
平成18年11月2日〜12月31日
虹の架け橋
* 11月の花 ……2006/11/02…
九江の秋の花

 この次期の王者はやはり菊である。日本では大輪の菊から、中菊、小菊と多種あるが、中国も同じ。ただ、中国の場合、肥料が効きすぎて、花が長持ちしない。つぼみが膨らんだ頃、クド石灰等で、菊の栄養分である窒素系を中和除去させると、花弁の艶も長持ちし、葉も緑が増すのだが、中国ではそこまで研究していないようである。日本だったら、少し菊の栽培をたしなむ人なら、だれでも行うイロハなんだが。

酔芙蓉

 学院の敷地内に今年も酔芙蓉が咲いた。朝は純白、午後はほんのり桜色、夕方は濃い目の紅となり、翌朝は落花する。短命では在るが、目を楽しませてくれる一品である。

鹿児島県にもあちこちで、この花を見かけることが多い。

写真左:白、薄紅の酔芙蓉

写真中:落花寸前の酔芙蓉(右側のピンクの萎んだもの)


写真右:筆者が健康のため朝夕世話をしている花壇(兼野菜畑)の一角に山から移植した野生の小菊がびっしり咲いた。

* 九江昌河鈴木自動車 ……2006/11/03…
日中合弁自動車会社九江昌河鈴木自動車工場へ

  大和高田市の皆さんと、九江市にある標記の日系企業を訪問する。

 先の、九江学院九江・高田友好の部屋「静」のテープカットに、九江昌河鈴木自動車の総経理(所長)さんにも参加していただいたことへのお礼を兼ねての訪問であった。

  以下、会社訪問の報告と感想。
  
  本社を浜松市もつ鈴木自動車が九江に合弁会社を作り、九江昌河鈴木の名称で自動車の生産をしている。ここの総責任者は清水康男氏。

  敷地面積約88万uに91,290uの工場群が立ち並び、エンジン工場と、車体工場の2部門がある。
 
  1台の自動車が出来上がるための約2万以上の部品が要るのだそうで、生産工程にしたがって、プレス、組み立て、塗装、エンジン取り付け、製品試験と流れている。

  工場内は、プレスの音はするものの、行員が右往左往するでもなく、シーンとした雰囲気で作業が進んでいる。工員は1390人余。

  工場内は塵ひとつ見えなかった。九江の通りが清掃員が掃いてもはいてもビニール袋の覇権などが目立つのに比べると、別世界である。会社の指導が徹底している感じを受けた。と同時に、九江の町を美しくしようと思えば出来るのではと思った。「やれば出来る」ということか。本気で、意識することが大事なようだ。

写真左:九江・高田友好会のメンバーと筆者と清水所長さん(右から3番目)

写真中:車体のプレス部門参観

写真右:出来上がったプレスの一部

* 昌河鈴木合弁会社続き ……2006/11/03…
写真のみ


写真左:工場の外形大体組みあがった車体

写真中:工場の外景

写真右:エンジン
* 酔芙蓉 ……2006/11/03…
写真


写真左:芙蓉の花の遠景

写真中:芙蓉の花の近景

真右:午後ともなると、酒に酔ったようにほんのり紅色となる。(俗名酔芙蓉と呼ばれる所以である)
* 竜・獅子まつり In 九江 5 ……2006/12/02…
獅子舞の部

 獅子は門守の役目として親しまれたろう。百獣の王としての貫禄を持つライオンを家の守り、社の守り、国の守りとしたことは容易にうなずける。今日、中国の銀行、名のあるホテル、酒店、役所などにはたいてい、身長2メートルを超える彫り物の獅子がおかれている。
 
 獅子舞は、民衆の中で集落の安全と一致を願って発達した民族芸能であろう。

 日本でも、獅子踊りが横浜の中華街で有名である。高校生ぐらいの若者が中心になって獅子踊りの伝統を引き継いでいる。こっけいな顔に仕立てた獅子を操り、観衆を笑わせてれる。

写真:舞・いろいろな表情の獅子や竜や鳳凰たち。
* 竜・獅子まつり In 九江 4 ……2006/12/02…
竜舞の部
 出し物は思い思いに意を凝らし
  民族衣装をつけた出演者が竜や獅子を使い演技する。その演技力、アイデヤ、面白さなどで点を争うらしい。

  生徒の報告では九江のチームが優勝したとのこと。日本で国体など大方開催県が優勝または上位入賞を果たすのと同じかなと思う。

  ここで日本の竜・獅子踊りを少し。長崎市の唐人街に伝わる竜踊りが、観光資源と成っている。長崎市に観光で宿泊すると、竜踊りを披露してくれる。

  
写真:さまざまな演技の竜踊り

* 竜・獅子祭り In 九江 3 ……2006/12/02…
開会式の部

開会式
 九江学院のメインスタジアムで行われた。あいにく、小雨交じりの天候で傘をさした観覧者が会場をうずめた。開会の辞に続き、地元市長の歓迎の挨拶。地元のボランテイアであろう、2000人ほどが手に扇子や小旗を持って集団演技をする。雨にぬれての演技は少し気の毒におもう。控えの場所では、民族衣装に身をかためた人々、出し物の竜、獅子、鳳凰などが出番をまっていた。

写真左:開会式での集団演技

写真中:控えの場で出番を待つ演技者

写真右:竜・獅子祭の看板バルーン
* 竜・獅子祭り In 九江 2 ……2006/12/02…
会場設備会場設営

 今回の国際大会は九江市で実施された。会場は、施設の整った九江学院で行われる。

 正門に実施の門塔と花。菊、マリーゴールド等で飾る。学院本部前は花文字の歓迎文字。黄色の菊が鮮やか。

 開会式会場の屋外運動場はのぼり旗と気球で雰囲気を上げる。竜と獅子の競技舞台は江西省一大きい九江学院の体育館(400メートルトラックがあり、4000名の観客席)。舞台には赤い絨毯が敷き詰められた。


警備:
  人が多く集まる場所とはいえ、警備の物々しさには驚く。大型警備車が警察関係5台、国防軍関係3台。制服に身を固めた要因300名ほどが配置され、会場入口で入場者のチェックをする。チェックといっても、入場券を示せば、パスさせていたようである。

 ちなみに、入場券が中国人民円で100元。日本円換算で約1460円。中国の貨幣の使用価値からすれば、約1万円ぐらいで決して安くない。テレビでも見られるんだからと、学生たちは入場を控えたものが大半。ボランテイアの学生はまじかで観れた。奉仕は人のためならずか。


  警備のものものしさは、中国という国が、民衆の集まる場所に、異常に神経を使うということだ。きっと、天安門の前例が尾を引いているのだろう。

写真左・中:警備のための車輌。

写真右:入場者をチェックする軍人と警官。
* 竜・獅子祭り In 九江 ……2006/12/02…
竜獅祭について

  中国では、竜獅精英賽という。竜は黄河長江の大河の代名詞。両河はしばしば洪水を引き起こすが、反面豊かな土を運んでくるので、恐れと恵みの象徴として親しまれた。

  竜に対して暴れないように祈願すると共に、豊作をもたらしてくれるようにも祈願し、祭るようになった。

  獅子は百獣の王であることから、魔よけとして信仰された。

  清朝中国のことを「眠れる獅子」ともいったように、獅子は中国の象徴でもある。

  竜もまた中国の象徴。竜も獅子も中国の庶民信仰であり、日本にもこの習慣が伝えられている。

  神社の狛犬、神話の竜退治などがその名残。

  竜獅子英賽の賽は「比べる」という意味をもつ。中国では日本で「競技」にあたるのが「賽」である。

  この祭り、今年はシンガポール、マレーシアなど8ケ国から参加があり、ここ九江が会場となった。

  まずは会場設営、警備、開会式、出し物と順をおって報告しよう。


写真左と右:菊の花文字の歓迎ゲート

写真中:2006中国(九江)首届国際竜獅精英賽ののぼり旗

* 頑張れ、日語能力試験! ……2006/12/02…
すきやき会(11月24日、25日26日27日の4日間)

  12月3日(日)の日本語能力2級と1級試験を控えている最終学年の生徒たちを励ますため、ひと組20人づつに分けて、すきやき会を開催する。受験する皆が健康な状態で試験に臨み、日ごろの学びを十分発揮できるよう願いをこめて招待する。

  この3日間何回も食材の買出しに。牛肉(豚肉より少し高価)、豆腐、たけのこ、しいたけ、白菜、にんじん、春菊、深ネギである。コンニャクは探しても見つからないのでカット。調味料は醤油と砂糖。以上であとは大鍋で2組作る。家内は招待時間2時間前から調理に取り掛かり、大忙し。

  生徒には、茶碗と米飯は各自持ちでお願いした。自宅にそれだけの器の量が無かったので。

  さて、生徒たちは、一様においしい、おいしい(ハウチイー、ハウチイー)と喜んでくれた。中には、「胡椒ありませんか」と辛い胡椒を要求する生徒もいた。調理用に用意したものを出すと、すき焼きにゴソット入れて食べる。これにはびっくり。そして、好奇心から自分も少し入れて食べてみると、「うまい」! すき焼きの味が一層引き立つのである。日本では、すき焼きに胡椒を入れる話は聞いたこと無いが、これからは、日本でも宣伝し、胡椒入りすき焼きの食べ方を広めたい。


日語能力試験について
  中国は学歴社会であり、その所持するライセンスによってはじめから給料の格差がある。だから生徒たちは命がけで学習するし、日語能力試験は、日語学科の生徒にとっては将来の仕事に関わるとても大事な登竜門。しかも難関である。昨年も、120名ほど受験して、1級に合格した生徒は4名であった。うち、一人は独学で成功した。したがって日本語学科の生徒の1級合格率は、昨年で言えば3パーセント弱ということになる。2級取得をまず狙いなさいといっても、本人たち自信があるのか、聞いてくれない。何が何でも1級をという。その意欲には感心するが、パスできなければ元も子も無いのだが。
案の定、落ちた生徒たちは泣きべそかいている。

  彼らが1級にこだわるのは、待遇のこともだが、年が明けるとすぐ、就職活動に入る。そのとき、履歴書を作成するわけだが、ほとんどの生徒が取得資格蘭に「日本語能力資格1級取得(見込)と書くのである。いわば、この空手形を書くために、何が何でも1級に挑戦するというわけである。この意気込みが実力に反映してくれるといいのだが。

  試験会場は各省省都の大学で行われ、中国全土で40箇所ぐらいの試験場。江西省の場合は南昌である。

  中には上海、北京等で受験する生徒もいる。一会場平均4000名が受験する。日語能力試験の申し込みはその年の4月である。申し込みはすべてコンピューターですることになっている。中には、申し込みが間に合わなくて、次年度送りの生徒もいる。ある生徒は受験番号が空いていた西安にまで試験に出かけた。

  あす、12月3日は彼らにとって運命の日なのだ。頑張れみんな。チェストいけ!!

写真説明
妻の配膳模様 楽しげなすき焼き会食  はい、満腹したところで一同チーズ。
* 12月九江の花 ……2006/12/02…
2006年12月2日土(晴れ)在九江

  九江12月の花。この時期、九江はもっとも自然の花が少ないとき。花屋には、ゆり、ガーベラ、菊、マリーゴールド、ポインセチア、金盞花など並んでいるが、これは輸入物。そんな中で山茶花だけは、寒風に晒されながら、紅い花びらを天に向けている。

【 山茶花や 友無きおりに ひとり咲き 】


  立冬は過ぎたと思っていたところ、日本のある新聞コラムに晩秋という文字をみた。いずれにしても、季節の移り変わり。木々はいっせいに活動をとめ、眠りに入る。植物は1年をかけて活動(生産)と休養を繰り返す。

  人間は1日のうちに生産と休養をとり、それを365回繰り返す。活動半分、休養半分なのだ。休養半分は前者にもまさって大切なことだと思う。自然はこのことを人間に話しかけているのかもしれない。活動にのみ人間の価値を見ようとする現代は疲れ果てて倒木寸前。休養は次の季の活動につながる。

  自然の木々のように、葉をおとし、ひっそりと次年度の春を待つことの大切さを教えているようだ。

【晩秋の木の葉舞いおる九江路】


写真左:道端に咲く、山茶花の花
写真中:学園を飾る人工的な花 菊鉢、金盞花
写真右:菜園にさいた小菊(これは公栄作)
* 学生会主催の迎新晩会 ……2006/12/03…
学生会の年中行事
2006・11・10(金)

  九江学院では毎年11月の時期に恒例の親入学生を迎える会が開催される。主に2年生が新1年生を歓迎するという趣旨のもの。今晩は語学系の歓迎会で、歌、踊り、器楽演奏、寸劇などの出し物があった。インドの留学生や、外国人教師の歌も披露され新1年生はつかの間の開放感にひたり、また、先輩たちに大事に思われていることを実感したことだろう。

写真:歓迎会で披露された出し物
* 65回目の12月8日 ……2006/12/10…
忘れられない歴史

太平洋戦争勃発65年

 今日、12月8日は太平洋戦争(日本では大東亜戦争といった)が勃発した日。8歳のときだった。ちょうど、健康を害して、中国九江から父に連れられ、長崎県小浜市の祖父方へ寄留するときだった。

 父は真珠湾攻撃のニュースをラジオで聞き、「戦争が始まった!」とだけ言い、あとは押し黙って考えごとをしているようであった。きっと、再び九江の任地に赴くべきか、戦局はどうなるか?など自分と家族の将来を考えていたのだろう。これ以上戦局が広がれば、程なく日本は総崩れとなると考えていたはずである。

 今にして思えば、この戦争ほど無謀でやけっぱちなものはない。あるコラムは「政治の貧困によって戦争に突入した。」と論じていた。私は経済的覇権をかけた戦争だったと理解している。

 米国も中国市場に介入したくて日本がじゃまになった。これ以上日本の外国進出を黙って看ておれなくなった。だから蒋介石政権に肩入れした。同時に、資源の乏しい日本への石油、鉄などの輸出を差し止めた。真綿で首を締め出した。これにたまりかねて、のるかそるかの勝負に打ってでた。真珠湾奇襲の総指揮者山本五十六元帥はアメリカに最初の一撃は加え得ても、ジリ貧になることを承知していたと思う。

 この戦争、日本だけが悪かったのではないとは思う。しかし、朝鮮を支配し、満州を実質コントロールいていた日本はハルノ−トを飲むことができなかった。日本は、実益よりプライドを選択したのだ。恥を知る国ではあったが、罪を知る国ではなかった。大東亜共栄圏などの掛け声もこじつけの大儀としか思えない。

 ある論者は、「この戦争は東南アジア開放に寄与した」からいいことをしたのだというが私は信じない。結果として、東南アジア、インド、ビルマが独立を勝ち取ったのは幸いだった。しかし、それと太平洋戦争との因果関係を決定付けるのは論外である。そんな発言をした、東南アジアの有識者もいたぐらいのことだろう。

 今日、戦後62年を経て思うことは、平和のありがたさである。私はいま鹿児島と九江を行ったり来たりしながら、中国、日本に多くの友ができたのも、平和なればこそである。

 「平和を作り出す人は幸い。その人は神の子となるであろう。」マタイ福音書5:9。

 中国、日本の為政者は平和外交を追及してほしい。団体、個人も平和を意識して民間外交を進めたい。 

2006年12月8日  池田公榮 九江にて

写真左:九江の通り  中:鹿児島霧島から桜島を望む 
写真右:九江の長紅路
この写真は、太平洋戦争とは関係ない。ただ平和な状態を伝えたかった。
* 卒業謝恩会に招かれる ……2006/12/31…
2006年度卒業生の謝恩会

日本語学科は3クラス130名ほどである。角クラスの委員が世話役となり、卒業集団写真の撮影、レストランでの謝恩会を開いた。我輩も3クラスとも招待された。「奥さんも是非参加してください」と市の一流どころでもてなしを受ける。

各学生がビール片手に、グラスをもって乾杯と来る。そのとき、飲み干すのが流儀だそうである。これには飲めない自分は苦痛で理由をいって「一口だけね」といって特に許してもらう。

このときばかりは、学生たちも化粧をし、ブーツをはいて大変身。とてもきれいに見えた。失礼、いやきれいでしたよ。!

写真左:卒業集団写真
写真中:学生たちと晩餐会
写真右:同スナップ
* 2006・九江のクリスマス ……2006/12/31…
2006年クリスマス。

「神はその独り子を給うほどに世を愛し給えり。信ずる者の滅びずして永遠の命を得んためなり」ヨハネ福音書3章16節。

 今年の一文字漢字は「命」であった。命を考えるとき、命を与えてくださった方を考えずしてその真意に到達することはない。


 新装なった教会堂でクリスマスを祝う。会堂いっぱいにひしめく信者たちをみると、これが共産中国かと思えるほどである。どちらかといえば、若者より老人が多いのが特徴。クリスマスには市のお偉方も参加しての祝辞があるのが、これまた日本では見られない風景。それほど、教会の存在感があるということだろう。また、警察官が警備に当たるというのも中国ならではの風景。人が集まるところでは必ずといってよいほど警備が厳しい。

 我輩はこの1年間、第3週の日曜日に、講壇に立たせてもらった。日本と同じように聖書を語り、キリスト様の十字架と復活を宣べ伝え、聖霊様の働きを祈ることであった。いつも、通訳の任に当たってくれた教え子のKさんには感謝いっぱいである。

写真左:九江学院キャンパスもクリスマス気分
写真中:九江教会のクリスマス礼拝風景
写真右:礼拝を終え、家路につく善男善女
* 学院主催新年晩会 ……2006/12/31…
2007年新年晩会

 学院主催で「2007新年晩会」という催しがある。今年は12月28日木曜日に、講堂(礼堂)であった。

 院長の挨拶では、2006年生誕快楽!・2007年新年快楽!の言葉が聴かれた。中国で、クリスマスはすっかり根をはびこらせ、公式の行事でも語られるようになったことは驚きである。日本ではまずない。

 合唱「我愛中国」をかわぎりにダンス、歌、中国伝統器楽(二胡・琴)、サックスなど演奏がなされ、インドの留学生も特別出演した。最後は舞台に仕掛けられた花火でフィナーレ。いよいよ大晦日も駆け足で来る。

写真左:開会のコーラス
写真中:モダンダンス
写真右:フィナーレ
* 一年を振り返って ……2006/12/31…
私の2006年を振り返って

 今日で2006年も終わり明日から2007年となる。

 2月に、旧キャンパスから新キャンパスへ引越し、また新しい教師たちとの出会いが始まった。特に頼まれて、日本語学科以外の生徒のための公開講座で、週2回夜間に教えることができた。

 4月には九江学院副学長を団長としてほか6名が鹿児島大学を訪問し大学生交換について話し合ったほか、県、市の首長を表敬訪問した。

 5月には鹿児島の孫2人が九江まで来てくれた。孫たちは九江学院の学生に大もてであった。

 7月半ばから8月末までは鹿児島へ帰省し、お世話になったかたがたを訪ね、引き続きのご指導を願う。

 9月には2006年度新学期が始まり、週18時間の授業を担当することになった。10月からは、新任の先生が来られ、週16時間の担当となる。

 11月は運動会と竜獅子祭りがあり、学院が盛り上がった。

 12月は日本語能力試験が実施され、多くの学生が受験する。12月中ばを過ぎると学生たちは就職先の開拓を始める。そして、教師を招き、謝恩会をして、学生たちももうすぐチリジリになる。

 明けて、6月に卒業証明書を受け取りに来ることがあるにはあるが、このときはほとんどが職についているため、わざわざ参加する人は限られる。ゆえに、この12月末が実質別れのときなのである。各人の将来に幸あれと祈る。

写真右:2006年最後の朝日(白地に赤の日の丸に似て)

写真中:2006年最後の日没。中国は土も赤、太陽も赤、国旗も赤。

写真左:中国の国旗