2005(平成17)年6月1日(水)〜7月1日(金)
池田公栄・九江学院日本語教師日記
虹の架け橋

2005年7月1日(金)天候晴れ

**授業の終わり**

本日をもって、2004年度から2005年度間の授業が終わった。
10年ぐらい前から望んでいたささやかな日中友好事業。

それは、誰に言われるでもなく、自らの希望と決断で始めた個人的事業であった。
結果は、「よかった」と満足している。中国の青年たちをみていると、殆んどの生徒がまじめで、勉学を通して自分ら将来を開拓していくという意気に燃えている。
日中友好はこれら若者たちの背に託される。

 

**銃後世代経験者の使命**

100年後、300年後、500年後に日本の歴史家や、若者たちがその歴史を学ぶにあたり、いわゆる定説だけで歴史認識をしてはならない。

定説は必ずしも真理ではない。定説はより多数が定説として認めるものに過ぎない。真実は別にある場合もある。その場合、当時の庶民の声、体験があわせて必要であると思う。

銃後世代とは今70から90歳の男女を指すことが出来る。「銃後」「銃後の護り」とは太平洋戦争時、非戦闘員であった者が、国にあって、戦闘員を応援し、戦闘員が勇敢に戦えるように背後から支援していくという国策の言葉であった。

そろそろこの年代の銃後経験者が他界し、必死の生き様が空洞化しつつある。この時代の徴兵家族、学校教育、食料不足、防空非難、疎開、空襲、栄養失調、結核等文書をもって残さねばならない。

それは、唯一つ、国際紛争を解決する手段として、武器をもって戦うことのいかなる大義名分もないことを知らしめるためである。最近、歴史解釈の見直し、戦争の美化が、ある意図の下になされつつあることは不安である。

 

2005年6月30日(木)天候晴れ

**老人交流施設**

中国の老人は孫の守りか、その必要のない人は、老人クラブで中国将棋、カード、マージャンに興じているのが一般的生活パターン。各城区に簡単な老人用集会所があって、上記のゲームに興じている。

覗くと、老人ばかりでなく、3,40代の若者も結構入室している。彼らは『俺たち老人にお付き合いしているんだ』だとでも言いたいのかな?あるいは、職がない人か、裕福で働かなくてもよい人なのか。

**中国人の健康法**

早朝公園や湖畔において、多くの高齢者が集団で太極拳や気功に参加している。気を整え、呼吸を整えることによってからだのバランス、血行のバランスを保っことにより、健康維持を図っている。

 

2005年6月29日(水)天候晴れ

**多種な果物**

中国は実に多様な果物があり、四季を通じて楽しい。いま最盛はスイカ。ブドウも出始めた。日本にないものではレイシ。中梅干大の果物で、白っぽい果樹で甘くてとてもおいしい。何せ、鶏形の広い中国。常夏地域から北部寒冷地帯まで広範ある。その各地は独特の果物が育ち、流通によって一年中果物が耐えないということ。

 

**殷先生と生徒との記念写真**

さきにも、触れたが、日本語教師の殷秀珍先生が今期限りで九江学院を去られることになった。彼女は江西省南昌大学で日本語を専攻し、卒業後九江学院で3年間教鞭をとったが、もっと日本語の質を高めるために、北京で再度日本語を勉強するそうである。

彼女はすでに、日本語1級のライセンスを持っているが、その向学心旺盛なのに頭が下がる。彼女の将来に幸あれ。

 

**陳錦水学長の晩再会**

本部キャンパスのホテルで陳学長の晩餐会が催された。学長は2ケ月前に就任した新任学長である。招待を受けたものは、外国人教師たちで、今期で九江学院を去る人、残る人にねぎらいの言葉があった。

 

2005年6月28日(火)天候雨

**散髪屋のお姉さんと友達に**

散髪をしたとき、とても気さくな女性工人(コンリエン)(理髪師)がいて、話しかける。(ニー ナーリ リエン)どこの人かと聞く。日本人だというと、とてもめずらしがっていろいろ話しかけるが、こちらも、中国語が十分でないのでついつい「叫不?」(チンプトン)といってしまう。

すると、わからないか(チンプトン ああ)という。チンプトンはとても便利な言葉で、これを使えば一応その場が収束するというか、相手が「わからなきゃ話になんねー」で諦めてしまうのである。だから、わかっていても、都合の悪いことには「チンプトン」といえばいいことがわかった。


**日本の硬貨・札が欲しい**

これも、また日本人珍しさで、「日本のお金を持っているか」と尋ねるので、「持っているよ」というと、「見せて」ときた。「いま持っていないからあす持ってくるね」という。

約束の手前、翌日、わざわざ例の散髪屋に出向いて、硬貨、紙幣を一通り持参すると、とても珍しそうに見ていたが、「中国元と交換してくれないか」といった。だが、これはこの夏休み、日本へ着いてから、自宅までの必要費用を確保しておいたお金なので、「今は出来ない」と断った。

 

2005年6月27日(月)天候曇り

**自営便利屋**

九江の街ではあちこちで土建、電気水道、運送など、「承ります」の看板を置き、その前にじっと座って依頼者が来るのを待っている風景を見かける。日本で一時はやった「便利屋」的供給人たちである。いかほどの、需要があるのだろうか。

一日に一件でも二件でも依頼人がいれば、それはそれとして生活の糧になるかも。でも何件来るか、予想もつかない不安定な仕事である。この供給人たち、大部分は中国将棋や、トランプゲームをしており、依頼者があってもなくても意に介さないといった雰囲気でのんびりしている。こんな国民性は実に大陸的だとおもう。

 

2005年6月26日(日)天候晴れ

**教会礼拝**

ホセア5:15〜6:6 この記事は、旧約聖書預言書群に納められている。預言者ホセア(BC500年代)は自身の家庭的不幸を通して、神の赦しと贖罪を学び、自身の妻と同じく神に対して姦淫を犯しているイスラエル民族の悔い改めを説いている。

ホセアは自分を裏切り不倫した妻を許し、彼女が負う負債を代わって支払い、自由にしてあげるということをやってのける。彼はその示唆を神から頂き、実行する。そして、妻を想う自身の苦しみが、イスラエルを想う神の苦しみでもあることを悟る。

今日的には、神にそむいている私をホセアのように愛し、私の負債を引き受けて十字架にかかってくださったイエスの贖いにより、人類は再び神に帰ることが出来るということ。

 

2005年6月25日(土)天候晴れ

**2006年度も継続**

九江学院での教壇ももうすぐ終わろうとしている。あっという間の一年間であったような気がする」。この間、中国の色々な人と知り合えて、とてもよかった。特に教会の人とはまったく家族同然のお付き合いが出来、まったく淋しくなかった。

 次年度も継続希望を出していたところ、大学側から正式な契約更新の通知がきた。元気で体が動く間は、自分に出来る、そして自分に向いているよい活動だと思う。継続できたことに感謝。

 

2005年6月24日(金)天候晴れ

**卒業生のパーテイ**

昨年、日本語科の会話を受け持った卒業生の男子7名が(このクラス、女性24名に対して男子7名圧倒的に女性が多い)われわれ夫婦と他の日本語科教官を招待し、パーテイを開いてくれた。

陽光家?という賓館で馳走を頂きながら、学生時代の苦楽に花が咲く。ある卒業生は長崎大学へ留学する者、南昌大学へ改めて進学する者、就職する者など、互いに人生の道が分かれようとしている。

教官の内緒話では、2人ほどは成績が卒業点に届かなくて、再試験か留年かになりそうだとか。いいずこの国にも、親泣かせっ子がいるものである。

 

2005年6月23日(水)天候晴れ

**偽札**

一月ほどまえ、教え子の楊思思宅を訪問したとき、当の思思さん。いきなり大声で、100元紙幣をすかし見しながら、大声で「偽札!」といった。「何?何?」と父親も覗き込む。「うん、ちげーねー」といっている様子。

「ウーン、悔しい。これ、今さっき銀行から下ろしたばかりなのにどうして?」とその悔しがり方はちょっと理性を失いかけたストンキョウな声にあらわれていた。「偽札?、どこで見分けるの?」と尋ねると、透かしがはっきりしない。札の印刷面の凹凸がない。といことだった。

中国では買い物で100元紙幣を出すと、必ず店員が透かしの確認、手触りで凹凸の確認をする。始めは違和感があったが、いまではこれも庶民の偽札防御の智慧だなとおもうようになった。

客が差し出した紙幣を客の前で検証することはすこしも失礼ではないのである。

 

**幼稚園の幹部たちと会食**

今学期も本日をもって九江市中心幼稚園のボランテアは終わり。われわれ夫婦、それに通訳の労をとってくれた日本語学科の殷先生を園長さんと主任たちが昼食に招待してくれた。

本席で、気づいたことを教えて欲しい。また、日本の幼児教育はどうなっているかも合わせて教えて欲しい。という園長さんの要請があり、以下の点を伝えた。

園児の基本的しつけはよくなされているとおもう。挨拶、片づけがよく出来る。

4歳ぐらいから算数のドリルを行っていたのでおどろいた。日本では、この年齢では自分の名前の読み書きができるぐらいだ。

絵画制作は、下絵があって、手本を見て書く指導がなされていたが、日本では子どもの自主的発想を大事にし、できばえより、子どもらしい作品をよしとする。

本園は野外保育も取り入れ、芋を植えて収穫するとか自然体験学習もほしいところだ。

などを述べさせていただいた。

 

2005年6月22日(水)天候晴れ

**盗難事件**

同僚の先生が正月休み中に武漢へ旅行。帰宅してみると部屋が荒され、先生のノートパソコンが盗まれていた。学校側は管理責任を認め、被害者先生に2000元の弁償金を払った。

ところが、最近になって、この2000元は本当に被害者に渡ったのだろうかということで、国際交流課と外事課の間ですったもんだが起きたらしい。外事課が提出した領収書を国際交流課が偽物ではないかと疑ったらしい。そこで、ある職員を通じて、小生に帰国した同僚先生に尋ねてほしい。

ということになった。早速、当の同僚先生に問い合わせたところ、「確かに2000元受領しました」ということで一件落着とは相成ったが、中国というところは同僚同士でも疑うところかとおもった。この種の問題日本でもあるのかもしれない。

**榮一卯先生来九江**

大阪西成区で永年ホームレス対象に食を与えつつ布教活動をしておられ、現在もなお現職の栄一卯先生から突然携帯に電話がはいった。「いま江西省南昌から九江市に向かっている。

会えないだろうか。自分は着いたらすぐ教会で話をしなければならないので時間がない。池田公榮先生是非ホテルまで来ていただきたい。」という内容。

当方も喜んで会いたいのだが、榮師が投宿される場所は九江県の良友賓館というホテルということだけが手がかりで、ほかに手がかりがないので困った。さて、どうやってこのホテルを訪ねるか。

結局通訳のできる周学生にタクシーに一緒に乗ってもらい、良友賓館を訪ねたずねてさがしまわった。5時半家をでて、高速で九江県についてからが、なかなかてこずった。結局地元の人に聞きながら8時半ごろやっとホテルへ着いた。しかし、榮先生一行はすでに教会の集会へ出た後だった。

さあ、困った。帰ってくるのを待つかどうかと思案していたら、一人の中国人女性が、「私が教会へ案内しましょう」といって自転車で先導してくれた。なんと、タイムリーな出会い!主は困難に直面しても、かく善導してくださる。感謝。

 教会へ着いたら、すでに集会は始まっていた。彼は熱心に「イエス・キリスト様が全人類の救い主です。九江の皆さんも救われます。」と熱弁をふるっているところだった。

通訳は林さんとおっしゃる福建省のひと。彼はクリスチャン。日本人の奥さんに日本語の訓練を受けた人で、日本語を中国語に通訳するのがとてもうまかった。奥さんの仕込みだから、聞き取りが的確で、それを中国語で話してくれるのだからすばらしい通訳である。

榮師の後段は小生にも「話をせよ」ということで、約15分間、神を愛するものにとってはすべてのことが益となることについて、証をさせていただいた。もちろん、林兄弟の名通訳があってのこと。この日は、学校の門限をはるかに越えたので、中国に来て始めての外泊とは相成った。

 

2005年6月21日(火)天候晴れ

**作文試験**

作文の期末試験をおこなった。一人の欠席者を除いて全員受験。起承転結を考慮した作文。「自己紹介」「何のために日本語を学ぶか」などを100字程度で書いてもらった。添削し、採点して成績報告書を作り、教務課に提出することが、今学期残された業務である。

出席を含めた授業態度を30点満点とする。筆記または実技試験を70点満点として合計100点満点で綜合評価とする。

 

**九江のキリスト教**

九江市基督教会の役員の一人元名士さんから手紙をもらった。彼は教会の役員であり、且つ聖歌隊員、そして小生の日本語講座に殆んど欠席なく出席する兄弟である。

以下、彼からの手紙を紹介する。

主にある池田先生へ

もうすぐ、お別れすることなり、淋しいことです。今日は、貴殿に憶えて祈って欲しいことを書き連ねます。

中国には三自教会と家庭教会があります。三自教会は共産党政府に認められ、彼らの統制を受け入れている教会です。

教会の活動は限られており、積極的に布教することは好まれません。政府にとって不穏と見られる場合指導を受けるのです。三自教会は制限された礼拝でも持続できることで、不満ながら統制を受けながらも、公然と行う教会活動です。

一方、中国同胞にみ言葉を述べ伝えたいキリスト者はこっそり、家庭集会を開いています。家庭教会とは別呼称「地下教会」とも言われています。三自教会には自由がないが、地下教会には自由があります。

でも、これは中国では違法行為なのです。つい最近も吉林省で600名あまりの信徒が逮捕拘留され取調べを受けました。幸いに、数日後は帰宅できましたが、公安の目はいつも、教会および兄弟姉妹の行動をチェックしています。でも、私たちはイエス・キリスト様を主と仰ぎ信仰を維持しています。

どうか、中国に信教の自由が認められるよう祈ってください。私たちは国際的支援団体の中国に対する働きかけを期待しています。

 終わりに、貴兄の本教会での奉仕を感謝します。

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の導きがありますように。アーメン。

                    2005・6・19  元名士

 

註:* 三自は自ら管理し、自ら養い、自ら宣教するという意味である。

 元兄弟の願いは、信教の自由なのである。「三自」の意味が、「自ら管理し、自ら養い、自ら宣教する」ことであるならば、問題なさそうであるが、やはり、中国共産党政権の強い監視制限のもとに置かれていることがこの兄弟の手紙からも伺える。

今しばらく、現体制のなかで、信仰をたもち、ここ十年以内に、必ずや信教の自由が保障される日が訪れると確信する。もちろんそれは共産党一党独裁政治でなく、多党による民主的政府が、国民の選挙によって選ばれるときであろう。

  

2005年6月20日(月)天候晴れ

**日本、中国、韓国の方向**

日中韓の若い人に期待。最近特に日中間のWebサイトに過熱な書き込みがなされていて残念に思うことがある。下品な言葉を連発してこき下ろすタイプのものである。例えば日本人が書き込んだと思えるもので、「白痴!」「豚!」「死ね!」など。

中国側からのものでは「鬼子!」糞!」など。まるで、こどもっぽくて、友好関係を保つには役に立たないばかりか、感情的で、過激な言葉はエスカレートするばかりである。現在の日中韓の青年たちは、これからの国を背負う人々であり、それなりの学識も常識も備えているはずである。

何が嘘で、何が真か。何が相互有益か、不利益かは少し冷静になって考えれば十分判ることである。教育とは本来自分で判断できる力を養うことではないか。日中韓の青年たちに期待する。

 今日は小泉首相と韓国魯大統領との日韓相互会談の日であり、懸案の北朝鮮問題、日韓間の歴史認識問題、領土(竹島)問題などが取り上げられるのであろう。

胸襟を開いて、話し合って欲しい。会談が一致するのは、両国の国益が一致したときであろうが、それはまずない。トップ会談は国の考え方を分かち合うことにある。その上で相手の立場を理解する努力をすることだ。具体的問題は、事務方に指示すればよい。その上で相手の立場を理解する努力をすることだ。

 

2005年6月19日(日)天候晴れ

**三つの教え**

マタイ福音書7:15−29

第一の教え:実によって木を知る。

すべてのことには結果が伴う。キリスト様もその弟子(キリスト信者)がよい実をむすぶように期待される。実(弟子)がよいものであれば、木(キリスト)は認められる。褒められる。

その真理性が認められる。その宗教は「まこと」だと認知されるという意味。こんな訳で、キリスト者はいつもキリストの名を背に負うている。以前、ある友人から、「どんなに偉そうな事を言っても、行いが伴わなければ認めない。」といわれたことを思い出す。

世間は、私という実(行い)をみて、木(キリスト)を観る。自戒!

第二の教え:キリストに拒まれるもの

 どんなに信仰があっても、実を結ばないなら、それは無駄なもの。キリストはそんな者知らないよ」と裁判の席でおっしゃるそうだ。私たちがどんなに『信じたではありませんか。

礼拝に欠かさず出たではありませんか』と泣き言をいっても始まらないということか。感謝すべきことに、キリストは、この弱きもののために十字架についてくださった。十字架を見上げて救われよう。

第三の教え:確かな基礎工事

以前砂地の上に園舎を建てた経験がある。鉄筋だったから、設計士は基礎工事にとても配慮した。72本のコンクリート杭を地下深く、岩盤に届くところまで打ち込んだ。

目には留まらない部分であるがとても大切なことだと教えられた。われわれも人生という建物を建て挙げるとき、上っ面の見てくれだけを考えてはならない。
自分をしっかり支えてくれる岩盤(キリスト)の上に立たなければならない。キリストにまで届くこと、これは人生の最大にして一大事業である。

 

2005年6月18日(土)天候曇り雨

**チェン・ウェイと藤の個人事業**

この二人は、現在九江学院の英語科の生徒であるが、日本語がとても上手。数週間前から小生宅で学習会を行っている。

チェン・ウェイという学生は江蘇省の女性で、中高生の時日本語を学習したそうである。今年か来年、日本語2級試験に挑戦するといって頑張っている。

もう一人の藤学生は広西省の出身で、独学で日本語を学び、すでに2級試験は合格している。その努力に応えてあげたくて、相手をしている。

 

2005年6月17日(金)天候晴れ

**幼稚園入園手続き**

ボランテアで幼稚園に行ったとき、九江市中心幼稚園の袁園長が、「入園希望者が知り合いにいたら、推薦状をもらって面接に来るように。」耳打ちしてくれたので、同僚の菅谷先生のお子さんのことを思いだし、連絡をとった。

彼は、以前当幼稚園に申し込んだが、希望者が多くては入れなかったときいていた。早速、菅谷先生の奥さんと子どもと、小生ら夫婦相そろい、面接を受けた。

袁園長が直接子どもに口頭試問をしたあと、連絡先を記入させ、この日の面接は終わった。家内は一生懸命日本語で「よろしくお願いします」といった。うまくは入れたらよいが。

菅谷先生は茨城県の人であるが、縁あって中国女性と結婚し、九江学院で日本語を教えながら、自らも建設資材のリース業を営んでいる人。

 

2005年6月16日(木)天候晴れ

**試験の採点**

2クラス分の試験答案用紙を一枚一枚採点しながら学生の顔を重ねていく。平均的によくできた。ちょっと易しすぎたかなとも思うが、やっぱり学生の努力の実である。

学生にとって一番難しいのが助詞の使い方のようである。これは日本人にもむずかしい。それにすべて文法どおりとはいかない。

どこの国の文法もそうだが、例外がとても多いわけで、あとはひとつひとつ憶えるしかない。学生たちには、せっせと覚え、使ってもらうようにしたい。 

2005年6月15日(水)天候晴れ

**殷先生のこと**

殷先生は国立江西省南昌大学日本語学科を卒業し、九江学院大学の日本語学科の教官になり3年目の女性である。

この先生、いつも家内に付き合って幼稚園のボランテイアには随行し、通訳をしてくださった先生。この先生は、今年9月には九江学院を辞して、北京外語大学に入学されるとのこと。

「先生は1級の資格をすでにもっていらっしゃるのにそれ以上勉強したいのですか?」と尋ねると、「はい、よい日本語教師になりたいから。」と返事がかえってきた。頑張るまじめな教官だなーと感心する。

 

2005年6月14日(火)天候晴れ

**試験**

会話の試験を実施。単語100問、慣用語の暗誦5題。以上が筆記試験。約40分で筆記のあとは、「道を尋ねる」ということで、生徒ひとりひとりに、小生が質問し答えてもらう口頭試験。一例として次のような問題。

@、太平洋電子城というコンピューター専門店にいきたのですが道順を教えてください。」答え「はい、まず園前のバス停で101号線に乗ってください。それから、大中大という繁華街広場で下車してください。次にケンタッキーFCの角を曲がって歩行者街がありますから、そこを、まっすぐ約10分進んでください。そうすると、左手に大きな看板が見えます。お尋ねの場所はそこです。」

下線の用語も出来るだけ使用し、順序立てて説明できることが狙い。

この日、長期欠席の学生も受験した。病気で殆んど出席していない学生であるが、彼も受験し、慣用語の暗誦を一生懸命覚えたとみえ、つまずきながらもなんとか暗誦できた。

ちょっと涙ぐましいことであったが、なにせ授業時間がたりないので、単位を上げられるかどうか検討課題である。

 

2005年6月13日(月)天候晴れ

**中国の車事情**

中国といえば、自転車で通勤する人の群れを想像する人もあるかもわからない。だがそれはもう昔のはなし。自転車はもはや過去のものになりつつある。主流は自動車である。通勤用のバスとタクシー。バスはどこまで行っても1元(13.5日円)、タクシーは5元から。金に余裕のあるひとは自家用車。

それも、フォークスワーゲン
(ドイツ車)や本田、日産、トヨタ、マツダ、いすず、スズキなどの日本車。それに加えて中国の国産車である。これら自家用車が沢山走っている。

中国はすでに一部豊かな国なのである。中国の国内問題に貧富の格差問題があるが、かたや、高級車を乗り回す人がおり、街中にあちこち見かける乞食がいる社会である。スズキは此処九江市に合弁の生産工場を興している。

日本では見かけないのが電動バイクである。金額は1800〜2300元(2万円強から3万円)。騒音がなく、排気ガスが出ないよい乗り物。日本へ輸出したらいいかも。

 

2005年6月12日(日)天候晴れ

**職員旅行**


午前中武源(ぶげん)(
Wuyuanウーウエン)の宋時代の橋を観光する。この橋は鹿児島甲突川大の川に架かる橋であるが、1000年以上も前から使用されている屋根付木造橋である。

橋の土台はどうして作ったのだろう?洪水も何回か起きたはずだが流出しなかったのか?いろんな疑問が出たが、それを解き明かす時間も説明もなかった。昼食は景徳鎮(ケイトクチン:Jingdezhenジンデゼン)にて昼食を摂る。

食事の後、景徳鎮の焼き物店を観て回った。観賞用置物をはじめ、家庭で使う実用陶器類など世界に冠たる陶器の街ならではの、質・量ともに豊富さにしばし目を楽しませた。景徳鎮を午後
2時半に出発し午後5時前に九江に着いた。

 

**日曜礼拝**団体旅行のため教会を休みことになったが、早朝を教会に家内と礼拝時間をもつ。教会とは「二人三人がキリストの名によって集まるところに私もいる」とおっしゃったことにより、主日礼拝は必ずしも教会堂でなければならないということではない。

現在でこそ、信徒は教会堂に集まるが、迫害時代は、信徒の個人宅、岩穴の中、地下墳墓(カタコンベ)などで礼拝したのである。

今日の聖書はマタイ福音書5章38−42節。「有名な右の頬を打たれたら、左の頬をも出しなさい。」の言葉である。こんなことが出来るかということになるが、小生にはある出来事の中で左の頬を向けてしまっていたことがある。

考えてみれば、そうしなければならないと義務的に意識してではなく、気づいてみたら、左の頬をも向けていたのである。このときから、揶揄をこめてであろうが、「池田は神様だ」といわれるようになったことを思い出す。

 

2005年6月11日(土)天候晴れ雨

**職員旅行**

九江から高速道で
4時間の?源(ぶげん)(Wuyuanウーウエン)に旅行。江西省の東端にあたる。少し進むと福建省や安徽省である。ここは前中国共産党政権の江沢民氏の生地だそうであるが、特別彼を記念するようなものは見当たらなかった。

九江が平地に対して、ここは山が多い。鹿児島の菱刈、蒲生あたりの雰囲気。折しも農民は田植えに精出していた。水牛を使役して田鋤を行い、水が十分に張ったところで
2人とか3人で苗を植えている。

田んぼは山間のくぼ地にあり、日照時間が足りないぐらいの場所が多い。?源の観光メッセージは「中国の古い里」である。ある集落全体が観光スポット。住人達も観光客相手のみやげ物売りで生計を立てている。

この村は宋時代の建物や、寺、遺構を残し、歩いているとタイムスリップした感じになるから不思議である。いっそのこと、服装も過去の衣装で迎えてくれるともっと感じがでるのではと思った。夜は?源市に引き返し、三つ星のホテルに投宿する。日本のビズネスホテルタイプ。

  

2005年6月10日(金)天候晴れ

**日本の歴史問題は共同で**

東京経済大学国際歴史和解研究客員研究員アンドリュー・ホルバート教授の特別寄稿(毎日新聞05.6.8)に概略次のような記事をみて賛成するところである。

記事の内容

日中韓間で歴史認識の相違から来る摩擦があることは相互国にとって友好関係を保つために放置すべきでないこと。

関係国は、公開ネットを通じて、歴史の専門家を幅広く配し、資料の検証、解釈などを書き込み、インターネット時代の若い層にその歴史解釈を委ねるということである。

幅広くとは歴史認識とは、所詮は思想、哲学の実証となるわけで、そのとき一方的解釈がまかり通ってはならないことで、判断材料は多いほどが好い。

 

2005年6月9日(木)天候晴れ

**藤さんの妹**

九江学院大学の藤さんは広西省(広東省・雲南省に近い)出身者で、現在同大英語科学生である。彼は自学自習で日本語2級試験に合格する実力の持ち主。

本年
1級合格を目指して、毎週土曜日に小生宅で日本語の勉強をしている。時々は食事を一緒することもあり、そんな時は、ついつい家族の話になる。彼には妹が一人いるが、その妹は拾い子なのだそうだ。彼の母親が捨てられていた赤ちゃんを自分で引き取って育てているのだそうである。

母親はその子を実子の自分より『大切にするんですよ。』といっていた。奇特なひともいるものである。

 

2005年6月8日(水)天候晴れ

**息子の命を返せ**

九江学院で最近起こった事件。ある生徒が門限を過ぎてから寮に入ろうとして、塀をよじ登っているとき、配線の高圧電線に接触しショック死した事件。このとき、その保護者は学区のキャンパスに大きな看板を立てた。「息子の命を返せ!」と。その後の結果はわからない。さて、日本ではこんな事案どのようになるのだろうか。

もう1件、夜間寝込みの女子寮に外部から数人の痴漢組が侵入し、麻酔薬か何かで抵抗できないようにした上で、犯罪に及びんだ。学校側は警備の非を認め、学生8名を南昌大学に転校手続きをとることによって収拾した。犯人はまだ逮捕されていない。

 

2005年6月7日(火)天候晴れ

:*中国の大学入学試験**


今日
67日と明日8日は全国一斉の大学入学試験である。入学希望者は867万人。うち、受け入れ大学の定員は475万人。40%以上が公立の大学に入れないことになる。入れなかった生徒は私立大学ということになる。

九江の街も受験生であふれかえり、どこのホテルも満杯状態。受験地獄はいずこの国も同じ。そのため、受験生の授業はとてもハード。ここ、九江学院付属高校でも、日本の補習授業さながら、土日も返上して大学受験のための補習事業を行っている。

 中国の大学生入学許可基準は、まず、統一試験を受け、その成績によって、入学できる大学が決まる。あくまで成績中心で決められるという。

 

2005年6月6日(月)天候晴れ

**日本はなぜ自殺者が多い?**

メールで自殺者の記事をよく目にする。6月5日の読売では、「自殺者3万超」とあった。交通事故死の4倍に相当するそうである。九江の学生に話すと、ビックリする。中国では自殺はあるにはあるがあまり聞かない話だという。日本特有の自殺願望要因があるのでは。

自殺のトップは老人の孤独死、老人が生きる意味を失っているということである。まじめに人生を生きてきた人に限って孤独者が多いのではないだろうか。

だからといって不真面目人生を奨励することではないが、生き甲斐を本人がまず見出して欲しい。地域社会や行政も生き甲斐メニューをどんどん提供して欲しい。生き甲斐とはなんだろう。『自分が地域に必要とされている』という自覚がもてる生活であろう。人が人を必要とする関係、探せばいくらでもあるはずだ。

次に多いのが働き盛りの男性の行き詰まりからくるもの。事業に失敗したとか、働き盛りのひとをいまの厳しい世相が直撃する。ある意味、気の毒である。でも、死ぬぐらいなら、いっそ開き直ってみてはどうか。『死んで花実があるものか』である。

新たな傾向として、ネットで自殺願望者相集い集団自殺?のケースもよく見る。たいてい、人生に疲れた人たちのようである。しかし、疲れる状態は現代だけの特徴だろうか。昔の人は子育てに疲れなかったのだろうか。

極貧にならなかったのだろうか。いや、現在よりもっともっときつかったはずである。なのに、どうして?思うに昔と今の違いは『耐える心』の違いであろうと考える。忍耐心。これは一朝にして身に付くものではない。人間生来、環境に順応して生きるようにDNAに組み込まれているはずなのだがなあと考える。

 

 

2005年6月5日(日)天候晴れ

**礼拝:復讐しない**

「目には目を、歯には歯を」と命じられている・・しかし私はいう。・・だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」マタイ福音書38.39

これはイエス・キリストの山上の説教の一節である。人は復讐したい本能を持つ。旧約聖書では正当な復讐を認めている。「目には目を、歯には歯を」の教えは旧約聖書申命記のことばである。

この教え、今日でもユダヤ教・マホメット教では生きている。パレスチナ問題が報復の連続で平和ほど遠しの感は、実に申命記の報復お墨付きからきている。イラクの自爆報復も同一の理論からうまれたもの。

日本の歴史でも多くの復讐劇。曽我物語、源平合戦、忠臣蔵。美化されてさえいる。正義という名の報復。自衛という名の報復。一番厄介なのが、「神の命令?」という名の報復だ。

「しかし私はいう」私とはイエス・キリストのこと。

「右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」つまり、報復をしないようにということ。9:11テロとその後のアフガニスタン、イラク侵攻は報復ドグマの実践。

人間は、「やられっぱなし」には耐えられないようだ。我慢には勇気がいる。そして、がまんが真の勝利にいたることであるとの確信を持つこと。真の報復は神がなさることを信じて委ねる信仰が必要である。アメリカのキリスト教はどうなっているの?というより、教会が政治に負けているということか。

 

**鍵の管理?**

礼拝に出るとき、鍵を持たないままドアをロックしてしまった。さあ、大変。日本語教師の殷先生に電話し、スペアーキーの手配をお願いした。殷先生、せっかくの日曜日を私たちのために、本部まで足を運び、スペアキーを届けてくださって事なきをえた。

同様の失敗がこれで2回目。二度あることは』三度も四度もあるに違いない。鍵の管理のあり方を考えなくては。中国の男性がよくこれ見よがしに、鍵がいくつもついた束(鍵束?)をズボンのベルトに結わえているのを見かける。その数、10本ぐらい。

そういえば、長沙市で教鞭をとっておられる竹下師も鍵束を腰にぶら下げている光景を記しておられたことを思い出す。ううん!鍵をズボンの後ろにつるすのはどうも無用心だし、どうしたら安全で、

絶対入室できる鍵の管理の仕方はないものか。スペアー鍵をだれも知らない場所に(例えば植え込みの根っこに)埋めておくとか。結構鍵の保管では悩みます。

 

2005年6月4日(土)天候晴れ

**日本の少子化**

日本ではメデイアが少子化問題を取り上げ、コメントしている。出生率2.29は7年連続で、下げ止まりはまだ継続中とのこと。政府も少子化対策の掛け声はあるが、予算の使い方から比較すれば、民生費の70%が高齢対策費で、若年対策費は3%とか。

これでは掛け声だけといわれても仕方ない。小生は高齢者で年金生活者ではあるが、気持ちとしては、もし、ほんとに少子化対策費を増やすのであれば、高齢者の予算を若年者の方へ少し回してもよいと思っている。年少者のためならば、少々の不自由、困難は「価値ある我慢」として甘んじよう。

 

**急に真夏が来たような**

5月は、さわやかな日がずっと続いたが、6月になって、急に夏が来たという感じだ。きょうなど34度も気温。急に暑くなると、さすがにきつい。寝苦しいのがこたえる。

こんなときうなぎでも食べたいところだが、九江ではうなぎがいなくて、食べられない。学生は「うなぎいますよ。」というので、「ほんと?」と市場で彼たちが指差すものは鰻ならぬ川蛇。でも九江ではこれを「鰻」というのだそうだ。名前も漢字で「鰻」(マン)という。

 

2005年6月3日(金)天候晴れ

**日本語教師契約更新**

九江学院の外事課の帥式毅課長来訪。来年度の更新について、ヒヤリングを受ける。小生としては、今の2年生が卒業するまで、係わらせていただきたい旨を申し出る。帥課長は快く承諾してくれた。感謝。

 日本語科の生徒たちが慰留の陳情を出してくれたらしく、嬉しく思う。個人的ではあるが、小さな日中友好活動と自認している。

 

2005年6月2日(木)天候晴れ

**日中の悲恋物語**

九江学院の呉越学生から実際聞いた話。彼女の父は江蘇省で室内インテリヤの仕事を経営している。

実は、父の会社の社員から聞いたという、国際悲恋物語。概要はおおよそ次のような話だ。

日本から北京大学に留学していた青年と、湖南省出身の女子大生が恋に落ちた。二人は結婚を目標に交際し、まず、女性の両親宅を訪問し、親族相集い、この国際結婚をどうするか、承認したものかどうかということになったらしい。

ところが、両親はじめ、親戚も日本人との結婚は許さぬということになった。理由は、70年まえ、日本兵が多数の湖南人を虐殺したという記憶がよみがえり、日本人との結婚は反対ということだった。

それに、彼女の祖父が日本軍に殺されたことによる、恨みからだそうだ。家族は、二人をあちこちの村に案内し、日本軍がおこなった残虐行為を説明したそうである。

村には石碑があり、そこに、何月何日、日本国何々部隊によって何人虐殺されたと細かく刻んであったそうだ。相思相愛の二人はそれでも諦めきれず、娘は意を決し、男性の日本へ帰化してでも、添い遂げたいと思い、日本へ渡った。

ところが、日本側の親戚の墓参りをしたとき、彼女は決定的なショックを受けた。

それは彼の男性の先祖、祖父の墓石碑に「○○は昭和○年○月中国河南省に於いて、日本軍司令官としてよく戦い云々。」と記録されていた。

この墓碑を読んだとき、彼女は自分が嫁ごうとした男性の祖父が軍人であり、しかも指揮官であったことを知り、わが故郷湖南省占領と虐殺を指揮した指揮官が、自分が結婚しようとしていた男性の祖父であったことの現実に

、もしかして自分の祖父もこの指揮官の命令によって殺されたのではという猜疑心が募るようになり、「ああ、この指揮官の下で、わが多くの同胞が殺された。」と涙にくれ、自らの意思で、「誠に残念だが、このおじいさんの孫と結婚は出来ません。」といって、婚約を解消し中国に帰国したというのである。

何という歴史の悪戯。というより、悲しい運命にさらされたできごとである。二人の若者は誠にかわいそうでならない。

中国側の反日云々というが、実際に身内をやられたものにとっては、そう簡単に恨みが消えるというものではないことを、この話、物語っているようだ。湖南虐殺事件、断定は出来ないが、湖南魂「科挙など取るに足りない。

もっと大志を」「事実求是」「議より実行」の反骨精神旺盛な湖南人は日本軍に抵抗し、多くの殉死者を出したであろうことは容易に想像できる。

湖南は辛亥革命、共産革命の揺籃の地でもあることを考慮すれば、激戦地であったろう。湖南省から来ている学生に、あなたのふるさとに、激戦地や、虐殺に係わる石碑がありますか?と聞いたところ、「確かにある」という返事が返ってきた。

 

2005年6月1日(水)天候晴れ曇り

**子どもの日(児童節)**

中国では6月1日は児童節である。もともと旧暦の5月が子どもの日であったものが、新暦にかわっただけのこと。この日は、幼稚園、保育所、小学校は休園(休校)。着飾った子どもたちが親に手を引かれて九江の繁華街を歩いている。お祝いの買い物であろう。日本の子どもも一人に六つの宝のポケットがあるといわれているが、中国では同様の趣旨のことで、「六人の召使がいる」といわれている。両親と両家の祖父母であわせて六人。超少子化の子ども環境である。違うところは、日本は自然に、中国は国策で「一人っ子」なのである。はたして、六つのポケットと六人の召使をもった王子様は将来どんな人に育つのやら気がかりである。

 学園キャンパスのホールでは、近くにある『九江市学芸技術園』と称する幼稚園が保護者を集めて演芸発表会をおこなっていた。子供たちのどこかあどけないしぐさ、でも懸命に演じる姿はとても感動的である。

 

**6月の樹花**

九江の街路樹に、日本でいう、「眠り木」がある。学名はちょっと分からない。昼間は葉が開いているが、夕方と夜は、葉が手のひらを合わせるように閉じることから「ねむり木」と呼んでいる。この樹にいま薄紫の花が咲いている。栴檀の花のような香りがして、これまた心地よい。店頭の鉢物には、サルビア、紫陽花、マリーゴールド、ベゴニアなどの観賞用、枝振りを鑑賞する羊歯類、ソテツ類など。花木はひとつひとつ違っていて人を和ませる。

 

**不供応求**


中国では一人っ子政策であるが、その実態は「不供応求」なのだそうだ。

不供応求とは、「供給せず、必要には応じる」の意で、つまり、一人を原則とするが、もし女児が生まれた場合、希望すれば、男児を生めるということらしい。中国の男女比は男性が多く、女性が少ない。近い将来、花嫁不足到来。結婚できない男性の不満という社会問題も生じることだろう。