虹の架け橋
池田公栄・九江学院日本語教師日記 G
平成18年3月1日〜4月11日
特集 九江学院一行の鹿児島訪問
* 鹿児島訪問* ……2006/04/09…
**九江学院一行の鹿児島訪問**
その一
九江学院は趙文傑副学院長を団長に、一向7名編成で、日中留学生交換というミッションを担い、鹿児島・大阪・東京の順に、約2週間の日本訪問。鹿児島は池田公榮の出身地であり、お手伝いのつもりで一向に同行した。
 
 以下、鹿児島の交流や出会いを写真を交えて報告します。

一行名簿は次の通り
団長  
趙文傑  九江学院副院長
    斉清波  九江学院工学部長
    劉 平  九江学院学生部長
    張浦強  九江学院体育学部書記 
    張芸鳴  九江学院芸術学部助教授
    鄒小平  九江学院語学系日本語学科教師
    池田公榮 九江学院語学系日本語学科教師(随行)
 
 一同は4月4日午後2時、南昌空港へ。上海到着は同日午後9時過ぎ。浦東国際空港近くの錦江之里ホテルに投宿。
 
 4月5日中国東方航空MU761便にて12時10分、鹿児島国際空港着。空港では鹿児島市日中友好協会企画部長の大石ケイジ氏、もと長沙市大学でで教鞭をとられた竹下先生。中国と貿易をなさっている宮下隆雄氏、それに通訳、田君とあわせて5名の方が出迎えてくださる。
 
 空港から、そのまま霧島へ。鹿児島は早朝は大雨だったそうで、河川が増水するほどであったが、午後はすっかり快復し、透明な晴天。雨上がりの錦江湾、桜島を霧島から遠望することが出来た。沿道の桜や景色、霧島神宮の落ち着いた雰囲気を味わう。
 
 夕方、鹿児島市水族館を訪れ、珍しい魚介類を観察する。中国の人には興味深かったようだ。一同、しきりにカメラをまわす姿が見られた。

 夜は、サンロイヤルホテルにチェックインし、天文館で純日本風の食事を摂る。イカの生き造りにはチョット苦手な人もいたようだ。「不要不要ブーヨンブーヨン」の発声があちこちから聞こえた。これも、文化初体験。最初は苦手でも、そのうち、おいしさにはまる人も出るだろう。

写真説明左:快晴の霧島展望台 中:神宮内のしだれ桜と趙団長 右:霧島神宮前にて

* 鹿児島訪問その2*大学訪問 ……2006/04/09…
2006年4月6日(木)
**鹿児島大学留学生センター訪問**

大学センター長の太嶋真紀師と顧問の小林基起教授が対応してくださる。
 太嶋師から、鹿児島大学の留学生受け入れの実情についての説明があり、留学生全体の50%は中国からであることなど。日本から中国への留学は現在のところ大変少ない。折に触れ、奨励はしているとのことである。
 小林教授は当日東京で会議がある予定を変更して九江学院一行に応対してくださった。感謝!

写真左:趙九江学院副院長と和田センター長(中)顧問小林基起教授(右)
写真中:鹿児島大学本部前で

写真右:九江学院芸術学院、張芸鳴助教授のピアノ演奏
  

* 鹿児島訪問その3 県・市表敬 ……2006/04/09…
**2006年4月6日(木)鹿児島市、鹿児島県表敬**

 午後1時20分鹿児島市長表敬訪問。鹿児島市は胡南省長沙市と20年来の友好交流を深めている都市。したがって、日中友好関係には特別な配慮と関心が深い市。森博幸市長が表敬を受けてくださり、歓迎の意を表してくださる。趙団長も感謝の意を表し、日本の団塊の世代を迎えるに当たって、熟年留学制度を整備してお待ちしておりますと挨拶、九江学院と鹿児島との第一歩を踏み出した。今回の訪問についての事前交渉には鹿児島市国際交流課の内田氏が担当してくださった。

 同日午後2時30分、鹿児島県庁を訪問する。知事を代理として国際交流課の橋口和宏課長が対応してくださり歓迎の言葉を述べてくださる。課長は歓迎の挨拶に加え、鑑真和尚にも触れ、753年、奈良へ昇るに当たって、まず、鹿児島の坊津に上陸されたことを話されると、団長の趙教授は「鑑真は九江の東林寺という浄土仏教寺院に寄留したこともあります。では鹿児島と九江は鑑真を通してもご縁がありますね。」ということで、和やかな会話が弾む。又、鹿児島には屋久島という国際自然遺産があり、九江には廬山という国際自然遺産があることも共通点。今後、交流が盛んになることを希望しますということだった。県には、同課の桜木孝久主事や賈春雪国際交流員に大変お世話になった。

写真説明左:鹿児島市市長室にて。森博幸市長表敬訪問。
  中:右:鹿児島県庁表敬訪問。橋口和宏国際交流課長と趙団長
* 鹿児島訪問その4 晩餐会* ……2006/04/09…
**鹿児島県・市日中友好協会との晩餐会**
2006年4月6日(木)午後6時から、サンロイヤルホテルにおいて九江学院一行歓迎晩餐会が開催される。鹿児島県・市日中友好協会会長海江田順三郎氏、同副会長赤塚晴彦氏、同企画部長大石ケイジ氏、県国際交流課長橋口和宏氏、桜木孝久氏、ほか通訳をしてくれた中国人留学生3名が相集い、和やかな晩餐会が開かれた。

写真:晩餐会風景。
   外は桜の満開の時期でそれこそ一行に花を添える。

写真前列:正面右から大石、海江田、団長、橋口、赤塚の各氏。前最左は筆者池田
* 訪問団スナップ ……2006/04/11…
九江学院一行の鹿児島体験スナップ集

説明
写真左:鹿児島県黎明館において、趙団長は日本の武将の鎧をまとい、すっかり指揮官になった。

写真中:桜の満開を過ぎ、鹿児島市内はいたるところつつじの開花が一行を歓迎した。

写真右:夜は天文館で食事を摂ったが、イカの活き造りに一同ちとびっくり。
 大石:これは鹿児島の名物料理。ホラ、動いているよ。(とイカの刺身の足や頭部動いているのを指し示すと)
 一同:これはイカ??ヲーブヨン(不要)とおっかなびっくり。団長はさすが、醤油とわさびを付けて口に入れる。勇気がありますね。
* 訪問団スナップ ……2006/04/11…
九江学院一行の鹿児島訪問団スナップ

写真説明
左:鹿児島大学キャンパスでは新入生対象に、いろいろなサークル活動の募集をしている。一行も新入学生とスナップに収まりました。

写真中:ドルフィンポートで櫻島を眺めながら足を湯に浸しリラックス。一同、足が軽くなったと大喜び。留学生の田さんは「足が棒になっていたが、元の足に返りました。」とジョークを飛ばしていた。

写真右:中国式武道サークルの団員募集
* 九江学院キャンパス ……2006/04/14…
施設紹介
**管理棟**
管理棟は正門から約300メートルの正面にある。まづ、目に飛び込むのは建学の辞とでもいうか、九江学院の教育モットーが刻まれた石壁がある。文字の内容は・・・

メイン管理等はそのすぐ奥に6階建てのビル。そのほか、会計管理棟とか、共産党支部とかがあるのはいかにも現中国らしい。

写真左:正門方向から管理棟方面を望んだ風景
写真右:管理棟側から正門方向を望んだ風景。向かって左側は院内病院ビル。
* 九江学院キャンパス ……2006/04/14…
**図書館**
図書館は5階建て。閲覧室、書庫、休憩室、談話室など学生が利用しやすい環境を提供している。

写真左:図書館正門前
写真中:閲覧・自習室
写真右:ホワイエ風の団欒室。読書ももちろんできる。
* 九江学院キャンパス ……2006/04/14…
**寮**

学生たちは原則全寮制である。だが、1年生は別として、2年生以上になると、自分で市中のアパートを借りて生活する生徒が多くなる。やはり、集団生活に向かないか人間関係に疲れた人だろう。彼らは、寮費とアパート代を2重に払う羽目になる。中国も一人っ子政策の現象が集団になじまない形で、こんなところにも現れ出したのだろう。

 男子寮、女子寮が別棟で各々18棟。計35棟の建物がある。各棟は一室6名で各階204名。7階で1428名。その35倍だから約4万人の収容能力を持っている。


* 九江学院キャンパス ……2006/04/14…
**研究・実験・演習棟**

研究棟、演習棟には教授がいて、専門分野の研究実験を行っている。写真左・中
コンピューター室は別棟。広大な広さの専用室に2000台以上のパソコンを管理運営している。学生たちは自分のパソコンがなくても格安で利用できる。1時間の使用料は三角。10角は1元(約13円)。学院自体でサーバーを立ち上げている。土日などは生徒が一斉に使用するので、回線が混雑し、使用中によく途切れることがあって少し不満である。
写真右:学院のパソコンを使って練習や作業をしている学生たち。
* 九江学院キャンパス ……2006/04/14…
**教室**

 教室は6階建てから12階建てまでの棟が8棟。学部ごとに表示があり、大体同学部あるいは同系統の学科がまとまっている。加えて実験室・実習室など。学生活動室も専用にあり。

 廊下はタイル張りで、清潔感がある。雨の日などは滑る危険もあるので、「小心地滑」(滑り用心)という表示がある。空調の設備はコンピューター室のような特殊教室だけ。あとは扇風機があって、夏の暑さを凌いでいる。

写真左:第五教学楼の前。語学系は大体この教棟。
写真中:教室の内部
写真右:新築中の教室(医学部生徒増員のため)
* 九江学院キャンパス ……2006/04/14…
**食堂**

食堂は学生用食堂が第一から第五まであり、各食堂によってメニューが少しづつ異なる。経営者は外部から業者が入っていて、施設を借りて経営している。学生はおいしい食堂の情報を口コミでよく知っており、やはり、おいしい食堂にはいつもは入りが多い。金額はメニューによって異なるが学生が主に使用する金額は一食3から4元。この金額で買える食品は、豚饅頭と牛乳。チャーハンと吸い物。食パンと牛乳。ラーメン1杯程度。でも量が多いので、これでも満腹になる。学生一人当たりの食費は1ケ月400から500元。一日では15元以内に抑えている。

**職員専用食堂**
学生食堂と何処が違うのかなと思うほど、差はない。やはり値段の問題で、高級ななものは値が張る。教授や教官といえども、月2000元平均の給料で生活するわけだから、そう贅沢はできない。結婚して子供もいれば、教育費にも出費がかさむ。九江人の食生活はなかなか慎ましい。

写真左:食事を摂る学生たち。
写真中:第五食堂まであるので、五番目の表示を撮影貼り付ける。
写真左:メニューをみて買い求める風景
* 九江学院キャンパス ……2006/04/14…
**体育施設**
運動場3面、体育館2棟(うち1棟は江西省で一番規模が大きい)その他、バスケット、テニス、水泳施設など。

写真左:バスケットボール施設
写真中:江西省1を誇る体育館
写真右:諸球技施設
* 九江学院キャンパス ……2006/04/14…
**教育環境**
 
 構内のいたるところに、教育意欲を刺激するため、古代から近代の敬慕すべき人物像や、謹言が描かれた石碑などがある。

写真左:物理学者・哲学者のニュートン像

写真中:学問の道を示す石碑(好学力行知耻)。とありる。耻は恥に同じ。学に励み、行にいそしみ、恥を知れでしょうか。その他、語句を列挙すれば・・・

写真右:中国古代の哲人孟子像。その他、孔子、老子をはじめ、ガリレオ、アインシュタイン像もある。全体で30体余。
* 九江学院キャンパス ……2006/04/14…
**メインキャンパス内の景観や活動**

写真左:構内にある診療施設
写真中:庭園の湖 学生たちの憩いの場。ときには恋人同士の語らいの場ともなる。
写真右:土日は近郊の子供たちが外国語を学びにくる。先生たちは快く応じている。
* 九江学院キャンパス ……2006/04/14…
**教職員住宅**

教職員2000名の九江学院は宿舎をキャンパス内に設け、職員の通勤の便に資している。宿舎にはABC
とランク付けがある。教授たちの宿舎は教工三村といわれるところで五六十棟あり、庭付きで500u以上の建坪。

 外教すなわち外国人教師たちの宿舎はBクラス。でも150uぐらいの広さで、家電製品、寝具、厨房器具一切完備している。
 
 他はCクラスで、100uの広さ。家財道具の大部分は自分持ち。

 家賃は払うが、市中のアパートよりは格安に設定されているという。
* 九江学院を総括すれば* ……2006/04/17…
**九江学院は四大学が統合されて今日に至る**

 九江学院はメインキャンパス、師範専門学院、医学院、もうひとつの師範学院の四通が整理統合され、マンモス化したもの。

 現在メインキャンパスと呼ばれる場所は九江市前進東路地区にあり、廬山に一番近い。ここは財政学部を基点とし、中国解放軍の経理学校としてスタートした。以後必要に応じて学部が増えている。メインキャンパスはその名のとおり、広さ、施設共に大きく、当学院の大部分をカバーしている。管理棟4、教室(5000名収容)8棟。実験・実習室4棟、コンピューター関連棟2、体育館2、運動場3、図書館1、学生寮38棟、学生食堂5、浴場1、理容・美容、コンビニ3、写真現像、増印、教師宿舎45棟、職員食堂2、講堂1、学内ホテル1、他に国際交流センター、病院、印刷所、社会人大学、廬山観光案内所などが整備されている。

写真左:九江学園正門。入り口両側には大きな獅子像が入門者を迎えている?(悪いやつは排除するの意かな?)

写真中央:管理棟前の見学の精神碑。競知向学 厚徳篤行 と記されている。知を競い学に親しみ、徳を厚くし行いを正すの意味でしょうか。

写真右;尋陽東路にある九江学院尋陽校区。筆者は2006年1月までこのキャンパスで教鞭をとる。
* 学生会活動* ……2006/04/24…
**日本文化の日**

 2006・4・19日(水)九江学院学生活動室において、日本文化研究会主催の「日の韻桜祭」という行事が行われる。会は外国語科の学部長挨拶に始まり、カラオケ、踊り、はたまた日本人教師まで登壇させられて、挨拶したり、喉を鳴らした。また、コスチュ−ムクラブや漫才、寸劇クラブも競演し会を盛り上げた。

写真左:ゆかた姿で日本の踊りを披露*日本語学科生(

写真右:コスチュームクラブの競演(侍姿)
* 敬虔なキリスト者たち ……2006/04/26…
※※中国のクリスチャンたち※※
 中国のキリスト教史は大きく二つに分けられる。最初は3,4世紀の景教と呼ばれた東回りキリスト教。教義問題で西方教会からは異端とされたが、伝道勢力は東進し、イラン・アフガン・絹の道を通り、中国長安(西安)に至る。以後一時期大いに勢力を伸ばすが、次第に道教・仏教の中に融合し、教会としての組織は失われる。しかし、仏教の中に、祈祷の習慣を持ち込むなどの影響は今日なお残している。(仏教はもともと悟りであって、祈る教義はなかった。)

 次がヨーロッパ・アメリカ経由の西回りのキリスト教(日本)。15、6世紀の布教活動により、カトリック教会、プロテスタント教会とも競うように中国に伝道し(東進)、今日主要な都市には必ずといってよいほど教会があり、日曜礼拝は教会堂を埋め尽くしている。熱心さの点では、どちらかというと女性の方。聖書の中でも、マグダラのマリヤとか、ドルカスとか女性が教会で大きな役割を果たしているように、いずこの国も女性が熱心であるようだ。

写真左:礼拝終了後、講壇前にひざま付き、熱心に祈る婦人たち

写真右:公園の空き地で、行事打ち合わせのため集まった基督者たちはまず祈祷してから活動を開始。
* *授業風景** ……2006/02/23…
**日本語学科生徒の授業**
日本語学科は小生が担当する生徒では1年生3学級計128名 2年生1学級38名を週8時間でこなすことになる。病気以外の欠席者はなく、すこぶる学習意欲旺盛な学生たちである。

今期からの授業はすべて本部キャンパスとなる。昨期までは師専校区といって九江市中心部に位置し、語学系中心のキャンパスが教場であったが、大学の機構改革により語学系は現在地に移転した。新教室は宿舎から徒歩20分。第五教学楼の6階である。階段は4階ぐらいで一休みしないと一気には上れない。自分では元気と信じているが、やはり年かなと思う。

会話の常用句は徹底的に暗記と繰り返しで身につけさせたい。授業の合間には日本から準備した日本の昔話を読み聞かせたり、童謡を歌ったりして気分転換も図りつつ、授業を面白いものにすべく工夫を凝らしている。

* 転居* ……2006/03/07…
**新住所紹介**

2月14日に九江学院本部住宅に移転した。学部の配置換えで、語学系は本部に移動したため、職員も住宅を移ることになった。新住居は白宮(バイコン)といわれるところで、国際交流課事務室と同棟の建物。拙宅に準備された部屋は303号室。約100uの広さ。給湯シャワー・トイレ洗面所。冷蔵庫・マイクロウェイブ調理器・ガスレンジ・電気釜・温給水設備つきの炊事場と食事室、寝室・応接室の構成。応接室にはテレビ・DVD再生システムが備わっている。

新住所:江西省九江市前進東路551
郵便番号:332005
* 夜間大学* ……2006/03/07…
2006年3月6日(月)天気晴

**今日から夜間学習始まる**

日本語専攻科以外の学生で、日本語を学びたい者が約40名程いるが、日本語を基礎から教えてくれないかとの申し入れが国際交流課からある。OKして引き受けることにした。学びたい人の役に立てることはすばらしいこと。最初の時間は紀珂嬢の通訳の助けを受けることにした。「いろは」の「い」から教える経験は始めてである。最初の印象では日本語学科の学生に劣らずまじめに学習に取り組んでいるのが印象的だった。
* 日中韓の若者に期待* ……2006/03/09…
**日韓中の文化交流について**

2006年3月8日付け朝日新聞に「越境する文化 互いに出会いを楽しもう」という 社説には概ね賛成出来る。昨今、日中韓のあいだで、メデア文化が往来し、「各国の青少年のあいだで、映画ばかりではなく、マンガやアニメ、テレビドラマ、ポップミュージック、ファッションといった身近な文化は国境を越えて行き交い、東アジアでは時を同じくして楽しめるようになった。」と現状を伝えている。
 
 政治の世界では中韓は相変わらず靖国問題を取り上げ、中国・韓国との国交がうまくない。しかし、政治とは関係なく上記の文化が往来していることは喜ばしい。古くより現代まで、日中韓はその文化をとおして互恵関係を保持してきた事実があることを忘れてはならない。

 九江学院で日本語が上手な学生は中高時代に日本のアニメや映画を見た人々であり、このような生徒たちは一様に日本びいきであり、いつか必ず日本へ行きたいとの希望をもっている。「出会いの場を増やし、時間と場所を共有する。そこで互いの文化を知る。そうすれば、新たなつながりが見えてくる。」と社説は結んでいる。

 3月8日夜、学生祭りに備えて、日本の雛人形製作と相なった。指導は元幼稚園教師の妻久子。
* 長沙学院からお客さん* ……2006/03/12…
**日本語教師の中原理絵師**
3月10,11,12の三日間、長沙学院日本語科教師の中原理絵さんが男子学生を一人同伴して、九江学院を訪問した。中原師は昨年9月偶然鹿児島空港国際ターミナルで出合った人。彼女は長沙学院へ日本語の教師として旅立つところであった。こんなわけで、以後メールのやり取りをしていたが、今回当地訪問と相成った次第。はじめ、廬山に上る計画を立てていたが、あいにく雨で、おまけに視界がほとんど利かない濃霧であったため、やむなく予定を変更して湖口というところへ案内した。

 ここは九江市より東北へバスで30分位の場所であり、長江(揚子江)と江南最大の鄱陽湖が出会うところ。有名な石鐘山を中心に案内する。山の上から湖や長江を眺め、古い建築物の回廊をめぐる。この山は全体が石灰石であり、天然の織りなる彫刻さながらの奇岩や絶壁を眺める。その特徴は、その名の通り、石が楽器のように音を出す。音をうまく組み合わせれば鉄筋や木琴なみに冴えた音が出る。

写真左:中原理絵師(右から2番目)を囲んで九江学院学生との交流。
写真中:石鐘山の山門口で,中原師(左より3番目)とその同行者たち。

   硬いもので叩けば音がでる石。叩く場所で音変わる。
* 信教の自由* ……2006/03/15…
**中国教会の規制緩和実現**
2006年1月までの状況
中国政府がキリスト教会にたいしてとった政策は、建前は信教の自由であるとしながらも、政権に都合の悪い教義や活動に対しては断固取り締まる姿勢をとった。教会の組織を作り、その組織の中で、政府が管理しやすい形で集会を認めていた。これまでの、実情はカトリック教会が愛国教会として、プロテスタント教会が三自愛教会として組織され、それぞれにトップ(協議会議長)を置き管理した。原則として、一市一教会を公認しているようである。教会には時々公安職員が出席して、説教の内容をチェックしたりもしている。
その他、この組織に入らない集会(教会)は日本では「地下教会」・中国では「家庭教会」として政府無認可の集会を持ってきた。そして、特に北方の地下教会(旧満州や北朝鮮に近い省)は脱北者援助、幇助の咎で教職といわず信徒といわず拘束されたり、投獄されてきたのも事実である。欧米では信教の自由に対して中国は閉鎖的だと折りあるごとに批判してきたゆえんである。

2006年1月以降
ところが、2006年1月以降は家庭教会に対してもほぼ公認の方針が打ち出され、信徒たちは大喜びしている。九江市の三自愛教会のある役員は「自分は近いうちに、家庭教会へ移る。池田さんと会えるのも、今日が最後だろう。主の祝福を。」と話していた。(3月12日の礼拝前の挨拶で)このようなわけで、今後は一市一教会ではなく、各地域に教会が生まれ、拡大していくことだろう。

写真:九江の落日 日は沈み、また昇る。
* *九江の環境汚染問題** ……2006/03/18…
**九江の排水問題**

九江の小河川は家庭排水が直接流れ込み、とても残念に思う。油もの食事が日常的な九江では油と他の汚水(洗濯排水、厨房排水)が混合して黄色な水となり、河川に流れ込む。民家の少ない山間の川は透明でとてもきれいなのに、下流はどの川もすごく汚れて、おまけにビニール袋があちこちに散在する。中国のビニール袋は赤・青・黄の原色だからとても目立つ。これらは、間違いなく長江に流れ込み下流の南京、上海を通過し、東シナ海に注ぐ。これらの汚染物質は海流に乗って日本近海にも届く。1998年の長江氾濫のときは鹿児島県西海岸は中国からの漂流物がたくさん海岸に打ち寄せられ、連日海岸掃除をした記憶がある。まったく中国大変・日本迷惑というところ。中国が川を汚染させない努力をしてくれたらどんなによい環境になることだろう。

**大気環境**
もうひとつの問題が大気問題。日増しに増え続ける自動車は大量の炭酸ガスを排出し、晴れた日でも空がどんより曇って見える。おまけに、質の悪い石炭を炊く工場群が郊外にあり、その煤煙が空をさえぎる。

**有害化学物質の排出**
日本で高度成長期の初期、化学物質の排出が河川や湾海に流れ込み、水俣病、イタイイタイ病など社会問題になったことを記憶している。中国は今、かっての日本と同じ環境にあるのでは。昨年末から今年1月にかけて、黒龍江省の有毒排水問題で生活水が使用できなくなった問題が報道された。同じ時期、広東省でも有毒排水問題が発生した。これらは河川の生物を汚染し、それらを生活の糧とする動植物も汚染物質が蓄積する。汚染されたものを直接間接に摂取する人や動物も当然有毒物質を摂取することになり、奇病の原因となる。これ、まさに高度成長病である。

 中国のこれからは、環境汚染問題を解決しないことには13億人民の大不幸につながるばかりでなく、近隣諸国に対しても大きな迷惑をかけることになる。

写真:この写真は冬休みに帰省したとき、熊本市のある川を写したものである。浮遊物をフェンスでせきとめ、町内会のどなたかが回収して適当な処分をするための仕掛。人口密集地であっても、川の水は透明で、ごみが流れないように配慮する民間の人々の日常的な努力が伺える。

写真2:九江学園近辺の排水が小川に流れ込んでいるさま。ここで一気に川の色が黄色みを帯びる。

写真右 九江市から長江に直接排水が流れ出している。長江はその広範な支流から近隣の生活排水、工場排水等が流れ込み、東シナ海に注ぎ、海洋にまでその影響を及ぼすだろう。排水は、きれいにして流すことが環境保全の基本の基本。
* 佐藤先生一行を迎えて* ……2006/04/02…
3月26日から一週間、もと九江学院の日本語科教師の佐藤正子先生と東京の一行が学院を訪問してくださった。学院会議室で日本語学科の生徒たちおよそ150名が集まり交流を持った。
 
 一行からいただいた日本人形や教科書に一同興味深々。

写真左:佐藤正子先生(右)と在九江時に親交のあった婦人。一同は九江学院の教え子たちを交えて廬山に登る。
写真右:学生と談笑する一行。 
* 九江のお墓参り* ……2006/04/02…
* 九江のサクラ ……2006/04/02…
写真左:九江解放軍病院敷地内の桜
 この桜は年期ものである。九江の解放軍病院はもと日本の陸軍病院の延長である。1930年代にここ九江には日本の民間病院、同仁会病院と陸軍病院があり、自分も幼少の折、学校からこの病院へ慰問に行ったものである。そのとき、日本人が植えた桜が今も咲いている。樹齢も進み風格もある。同様に、武漢大学構内の桜も有名である。ここも、日本人が植えたというので、最近ネット上で賛否の議論がある。方や、日本人が植えた桜に見とれて喜ぶのはどんなものかという意見、方や、そんなに肩肘はらなくても素直に桜を愛でたらよい。という意見。桜には何の罪もない。しかし、戦争という現実が、同じ桜を見ても、傷を思い出すきっかけになりうることを証明している。

 学院キャンパスにも今年になってからサクラの苗を植え、早くも花をつけた。写真右は九江学院正門通りの並木にさいたサクラ。
4月は清明節の季節。日本の彼岸・お盆に相当し、中国人はいっせいに墓参をする。

春分15日後。先祖の墓参をする日。春分から数えて15日後。24節気の一つ。掃墓節とも呼ばれ、祖先を敬い祭る行事が中国各地で行われる。古来より、春を迎え、家族で郊外に散策に行く習慣もあり、「踏青」とよばれている。(中国総合ガイドより)

又、この季節は、墓参が出火の原因になることもある。死者がお金に困らないようにと黄色い紙(紙幣・黄金の紙)を墓前で焼く習慣がある。折から、気流が起こり、火のついた紙が舞上がり、付近の枯れ草に着火する。つい先日も九江学院近くの墓地で家事が起こり、約5ヘクタールの山を焼いた。墓前でお金に見立て紙を焼く習慣、もともと仏教の習慣ではなく、中国古来の道教から引き継いだものと思われる。それにしても、自然破壊につながる習慣はご先祖も喜ばないだろうに。

写真
墓の規模というか、金をかけた順というか、墓にも格差がある。銘碑だけのもの。屋根つきのものなど、経済力に応じて墓も仕上がっている。
 
 銘碑もない墓にも、造花だけはささげられている。自分は豪華な墓より、こんな名もない墓に親しみを覚える