2005/06/08

上司のヒトコトは重い

作文の時間を週に2コマ(4時間)持っている。この時間は日本語による文章作成の練習が目的だ。テーマに関係のある語句・言い回し・作文例を勉強したあと、作文の宿題を出す。
日本語を勉強している学生は、親戚・友人等から度々「なぜ日本語を勉強するのか」との質問を受けているようで、その時の応答の骨子は下記のようであった。
たてまえ
日本の科学技術は世界一進んでいる。その理由を知りたい。
中国に来ている日本人がまじめに働くのに感心した。その理由を知りたい。
日本が好きだ。
日本に関心を持っている。
本音
英語を勉強しても英語人口は多すぎて、良い就職口が少ない。
日本語を話せれば、就職の機会が増える。

金の高い日系企業で働きたい。
日本に行って仕事を探したい。

日本人の私と学生が最初に交わした会話の内容は「私は日本企業で働いているとき日本人に怒られました」だった。それが1人や2人ではない。現場に居合わせたわけではないので経緯はわからないが、考えさせられた。

人は誰でもプライドを持っている。外人と対峙した場合はなお更だ。無意識のうちにプライドが頭をもたげる。そこで怒られたとなると強烈な印象を残す。

海外の日本企業に勤務している日本人は、進出先の従業員にとって上司だ。外国人である上司の一言は想像以上に重いことを肝に銘じて勤務してほしい。


2005/06/08

ご飯を食べましたか




阪に「儲かりまっか」という挨拶代わりの言葉があると聞き、さすが商人の町、商人魂の乗り移ったような挨拶、と思ったことがある。

中国の「你好」(ニーハオ)「こんにちは」は日本でも広く知られた挨拶言葉で、昼でも夜でも通用する。

しかし、4〜5回目位から「吃飯了嗎」(ツーファンロマ-?)「ご飯を食べましたか」が挨拶代わりの言葉になる。朝夕学生や知人と交わす挨拶言葉はこれだ。

この言葉にはどのような歴史が秘められているのだろうか。


2005/06/08


森林資源大国の可能性を秘めた国



日本の国土の70%は山だ。急斜面を除く山のほとんどに杉や檜の見事な有用林が見られる。日本は戦中・戦後に木を切りすぎ、洪水・山崩れ等の自然災害が多発した時期がある。木材資源の枯渇も心配された。山は、我々の先祖が将来に備えて、汗を流して植林し、育成してくれた貴重な遺産だ。

とことで、日本の25倍もの国土面積を持つ中国のほんの一部を見たり、テレビで見たりしての感想で申し訳ないが、人が木材を切り出した後、植林されなかった山が多い結果であろう、低木の雑木林が目立つ。国立の森林公園でさえもそうだった。低湿地の面積が広い中国で梅雨の時期に入ると、毎日のように洪水や山崩れのニュースが報じられる。これは天災ではない。明らかに人災だ。

木材輸入を1990年と2000年で見てみると、日本は5646万㎥から2590万㎥に半減。中国は経済発展に伴って224万㎥から2136万㎥と10倍近い増加だ。買い付け先は針葉樹をニュージーランド・USAから、広葉樹はマレーシア・アフリカのガボンだ。輸入は今後も飛躍的に増加することが予想される。やがて国際的な木材買付け競争が起こり、木材や紙の高騰をきたす。木を切った結果、宇宙船地球号は二酸化炭素が増え続け、温暖化が進む。木材を輸出した国では山崩れや洪水が頻発するようになるだろう。

中国の広い国土と降水量(人口1人当り降水量、中国5,907㎥、日本5,241㎥)は、森林資源大国の可能性を秘めている。昔はうっそうとした森林に覆われていたことを湖南省博物館の馬王堆漢墓から出土した大木の一枚板の棺が裏づけている。国民が1本ずつ木を植えても13億本だ。植林することで木材生産は勿論のこと、保水力を高め、洪水や崖崩れを少なくし、緑豊かな環境を作り、沿岸部の漁業資源育成にも役立つ。人工林の育成は欠かせない。植林は為政者の指導に懸かっている。


2005/06/13

日本人が忘れかけている美しい言葉



ありがとうございます」とか「すみません」という相手のお礼や詫びの言葉に対して、日本では「はい」と言う言葉を使う人が増えた。それをおだやかに打ち消して「どういたしまして」という一言は、今や風前の灯だ。

中国の私の周りにいる学生は勿論の事、汽車の中で気持よく席を譲ってくれた学生、カメラのシャッターを押してくれたアベック、学生食堂の服務員、カメラの被写体になってくれた揚げパン屋のご主人、電気屋の店員等も、必ず「不用謝」「不客気」(どういたしまして)の言葉を返してくる。

中国では悲惨な陸上戦が長く続いた。わが国も謝罪しきれないほど多大な迷惑をかけた。ひどい自然災害で苦しい時期もあった。それでも「どういたしまして」という奥ゆかしさを感じさせる美しい言葉は、しっかり引き継がれている。


2005/06/13

端午の節句 前夜祭



6月10日、学校から「明日は端午の節句ですから食べてください」と果物をいただいた。明日は旧暦の5月5日だ。

彭さんが「今夜は私の家で節句を祝いましょう」と誘ってくれた。2回も訪問するとは思いもせぬことで、躊躇した。しかし、胡さん・賀さんも誘うので一緒に行った。途中で手土産を買おうとしたところ、友達だからと固く断わられた。

この団地の真ん中は、日本の大きな学校のグランドほどもある芝生の公園だ。周囲には子供と等身大の石造彫刻が約20個配置されている。図書館・プール・滝・池もある。模範的な団地のようだ。

ご両親がたいへん歓迎してくださった。お元気そうだ。ビールを飲んでいる間に10種余りの料理ができた。まず、お母さん手づくりの、竹の葉でもち米を三角にくるんだ、ちまきをいただいた。中に豆や豚肉そしてピータンを入れた変り種もあった。食べていると各自の箸で私のご飯茶碗におかずを入れてくれるので、自分の意思で選択する暇がない。歓迎の意を示す習慣だ。賑やかな食事だった。

十時前に失礼し、バスで帰ったが、彭さんがバス代の往復とも払ってくれた。誘った方が持つのが習慣だ。しかし、昔青年の私は落ち着かない。


2005/06/13

端午の節句



6月11日、事務の徐さんから端午の節句に呼ばれていたので、賀さんと胡さんを通訳依頼して出かけた。目指すは徐さんのお姉さん宅、団地アパートの3階だった。

一階の入口で訪問先の暗証番号を押し、着いた旨伝えると、先方の操作で鍵がはずれる仕掛けだ。玄関のドアには蓬の葉に似た植物と菖蒲の葉を一束にして吊り下げてある。幸せを呼び込む端午の節句の習慣だ。ご一家全員おそろいで、お姉さまは巻き寿司作りの最中だった。

アパートは5年前にできたもので、綺麗で明るい。玄関と居間が一緒になったような20畳余りの広い部屋を中心にした贅沢な間取りだ。お姉さまは墨絵を本格的に勉強なさっている方で、関連のものや家具・調度品など見ている間に食事の用意ができた。

食事の最初に「醤油の中に入っているのは辛いワサビです」との説明を聞いた通訳二人が驚いて、「先生は辛いのは食ません」と言った。私が「ワサビなら大丈夫」と言い、お姉さまも日本の醤油瓶とワサビを台所から持って来られ、この場は収まった。海苔も日本のものだった。韓国産の燻製豚肉もあった。砂糖を利かせた醤油煮のニンニクは「節句の伝統料理ですから食べるべきです」と通訳した。

食材集めに時間を掛け、心を込めた美味しい料理だった。


2005/06/20

雑談に切り込む



[話題1]日本語通訳の姉妹(月収5.2万円)(長沙科技日語学院卒)の穴埋めとして広東の日本企業(社員5000人)に就職する。彼女も通訳として働く。初任給1.5万円程度という。

[話題2] 国の「一人っ子政策」の中で、最初に男児が生まれた場合、あとは禁止だ(農村)。この掟を破って女児がうまれた。公務員の父親は、給料の50%を5年間引かれ、後々の昇進にも影響が出たようだ。国も政策を守らせるために必死だ。学生達も人が多すぎて生活しにくいと言う。

[話題3] 一人っ子同士が結婚した場合、その夫婦には子供2人の出産が許される。この制度は国民に歓迎されている。

[話題4] 産児制限のための性教育は国もたいへん重視し、小学校5年と6年で男女別に学習する。

[話題5] 中国では、男性の家に女性がお嫁に行く感覚のため、男児の誕生が歓迎され、女児を産んだ嫁は肩身が狭い。地方によっては女児の誕生が歓迎される。その理由として、男性は結婚する際20万元(260万円)以上の家を用意しなければ、嫁が来てくれない。


2005/06/20

長沙市の観光スポット



話の授業で「人を集める」という短文が出てきた。関連させて長沙に観光客を集めようとした場合の観光スポットをあげてもらった。

まず湖南省博物館が出た。私も「この博物館は兵馬俑とまではいかないが、一級の観光スポットだ」と付け加えた。他に展望が利き毛沢東主席も登られたと言う岳麓山、毛沢東主席の奥さん・子供・兄弟も初期の革命で戦死されたことがわかる烈士公園、みかんの歴史を秘めた橘子洲頭、古い建築物で展望の利く天心閣、嶽麓書院、歴史の古い湖南大学の古建築など、いずれも歴史を感じさせる所を選んだ。

私は黄興路に面した春天百貨と王府井デパートの間にある小さな筋を入ったところの服地と仕立屋が一緒になった商店や専門店、黄興北路にある食材・食べ物屋・果物屋を中心とする商店街に、小物で高級輸入品の店・骨董屋・みやげ物店など混ざり合った中国らしさの漂う商店街があると、何度行ってもおもしろい観光スポットになり、「人を集める」力になるような気がする。東京の六本木・竹下通り・御徒町、沖縄県那覇市の市場街をイメージした様な所だ。

2005/06/20

森は天然のダム



長沙市内を流れる湘江は、長江(揚子江)の支流で、下流は有名な洞庭湖だ。

洞庭湖付近は、遠くで降った雨ででも、よく洪水が起こるという。濁流が運んできた泥土で、埋め立てが進み、遊水池としての機能も落ちているようだ。

湘江の集水範囲は日本の九州以上に広いが、山には深い森が少ない。そのため中規模程度の雨でも、上流ではがけ崩れや洪水が起こり、田畑が流される。川は黄色く濁り大量の土砂を運搬している。
樹木の少ない山地に降った雨は、地中にしみ込んだ後、地表面を流れながら侵食して川に注ぐ。川は短時間に増水するため洪水になる。

森が深いと降った雨は、まず木の葉を濡らし、枝・幹そして落ち葉を濡らす。次に地中にしみ込む。それ以上は地表面を流れる。とにかく、川にたどり着くには時間がかかる。森は天然のダムだ。

2005/06/20

大らかな人生  



朝の湘江のほとりに行くと、おもいおもいに運動している大人でいっぱいだ。散歩をしている人が一番多い。その外に太極拳・剣舞・ダンス・凧揚げ・一人テニス・バドミントン・コマ回しなど。

昼間は主婦やご隠居さんが、隣近所集まって、家の土間、歩道の片すみ、店番しながら小さなテーブルを囲んでマージャン・トランプ・囲碁・将棋だ。学校も職場も昼食時間が2時間以上あるため、自宅に帰って昼寝を楽しむ人も多い。

人生を「達観」した大らかな国民に見える。

2005/06/20

余剰労働者が姿を消す頃



授業内容に関連させて次のような話をした。
「先日通訳として就職した人の月給が約15,000円、私の初任給は1962年14,500円だった。1969年に新車の自動車を買った。7年後だった」と話したら目を輝かせた。中国の若者の当面の目標は車だ。

若者でも貨幣単位の元・角・分の内、以前は「分」のお金で買物ができたことを覚えている。中国の経済成長は目覚しい。

さらに話は「労働者が一人当たり一ヶ月平均20万円分の仕事をすれば、約2万円の月給になる。100万円分だったら10万円だ。中国が世界の工場となり、余剰労働者は街頭や農村から姿を消す頃、大多数の国民が生活の豊かさを実感するだろう。すでに沿岸部の都市では中産階級意識が高まっている」と。

思いは13億人の人口だった。日本の10倍の人口を持つ中国での豊かさは、どのように展開するのだろうか。

2005/06/20

多民族国家の対応



市内バスが、案内なしに予定のコースを外れて走っているのに気付く(よくある)、北方出身の人が運転手に聞きに行き「長沙弁でわかりませんでした」と引き下がってきた。

湖南省南部で2人が大声で話していたので、私が同じ湖南省中部の人に「何の話ですか」と聞くと「私もわかりません」と言った。

反日運動が高まった時期、私から「汽車(火車)内では日本語で話さないようにしよう」と提案したところ「中国にはたくさんの言葉があり、通じない言葉で話している人が多いから大丈夫」との説明が返ってきた。

人類は体質的特長で分類するが、民族は言葉など文化的特徴で分類する。中国は56の民族からなるという。その内漢民族は92%をしめ、7大方言に分かれる。現在の中国語は長江以北の北方言語で、特に北京付近の発音を標準語としている。長江以南の漢民族は河川・湖・山地などの影響を受け6大方言に分かれている。

他民族はもちろんの事、同じ?漢民族間といえども言葉が通じない問題を解決するため、中国の都市部では子供が3歳から入園する幼稚園でローマ字を使った発音練習の教育がある。幼稚園のない農山漁村では、子供たちが小学校に入学する(7歳前後で入学)前の1年間、小学校で勉強する。

多民族国家のため,標準語化に力を入れているのだ。

2005/06/20

布団は綿を出して日光消毒



本では布団を干すとき丸ごと日にさらす。長沙では布団の綿を出して日光消毒している姿をよく見かける。同時に側?(綿を包んだ布団布)は洗濯するのだ。

どうして綿だけ干せるのか不思議に思い、間じかに見てみた。綿は網で包んであった。だから簡単に取り出せることがわかった。

そこで布団綿の製造工場の前を通るたびに観察したところ、まず綿を布団の形にならべ約5o平方の網目の網でくるむ。次に職人が30センチ平方ほどの板で網の上から撫ぜ回すような動作を繰り返して綿と網を馴染ませる。次に機械で強く押さえながら撫ぜ回し動作を繰り返して、網に包まれた布団綿が出来上がる。手軽に日光消毒するために考え出された工夫だろうか。

今では布に包まれた布団綿などもあるようだが、日光消毒しているのは網に包まれたのが主流だ。


2005/06/28

かたかな と ヒラガナの効用




日本に伝わった最初の漢字の語音は、呉音で三国時代に中国中部(現在の南京から上海)の語音。次の漢音は隋唐時代に北方(現在の西安を代表する地域)の語音。3番目の唐音は宋時代に南部の福建省以南の語音だったという。とにかく日本語は漢字と言う表意文字で多大の恩恵を受けている。
(参考資料:「現代漢語」上冊 主編 張 志公 人民教育出版社) 

影響を与えた中国語と影響を受けた日本語の違いについて、下記のような例えで説明できることに気づいた。
話はいきなり医療機器になる。大きな病院で使う「CTスキャン」(Computed tomography)は、人体に対して多方面からX線を投射し、人体の横断面を特定の間隔で表示する装置だ。医師は一枚一枚の断面図を見ながら、頭の中で連続的に再構成して3次元(立体)画像を想像する。

中国語はこの装置に大変似ていると思う。つまり、中国語の文章は漢字が並ぶ。その文字間は頭の中で再構成する必要がある。この事について中国人に聞いてみると、会話・文章共に、再構成の段階で意味を取り違えることがあるという。下雨天留人天留我不留はその典型的例だ。

日本語の文章は「ヘリカルCT」だ。この装置の普及はこれからという物だが、X線管球をらせん状に連続回転させながら人体の周りを移動させることで連続した3次元画像が得られる。

日本の文章は、漢字と漢字の間をひらがなやカタカナで繋ぐため、頭の中で再構成の必要がない。そのために意味を取り違えることは少ない。


2005/06/29

誕生日を賑やかに




授業のため教室に入ると、黒板に入念なお祝いメッセージが書いてある。「アッ、誕生日」。この事は私の頭にはなかったのだ。すかさず範先生が入ってこられ、長沙科技日語学院からの綺麗で大きな花束とお祝いメッセージをいただいた。徐さんから絵本形式の記念切手。

彭さんから下記のメッセージとかわいい中国結。
「先生お誕生日おめでとうございます。先生にはいろいろお世話になりました。ありがとうございました。今後さらに喜寿・米寿・百寿・と加寿を重ねられ、中国学生をご指導くださいますよう、よろしくお願い致します。長寿をお祝い申し上げます。彭 治平」

夜は10人余りの学生がお祝いに来てくれた。心のこもった大きな中国結、ケーキにりんご・バナナなど持参。

ケーキにナイフを入れ、にぎやかに食べていたが、やがて座が乱れだした。恒例の生クリームの付け合い(若者の習慣)が始まったのだ。追いかける人、隣室へ逃げ込む人など大騒ぎ。後半は楊さん・易さんの歌も飛び出した。最後に床や壁の掃除をして終わった。さすがだ。中国式のたいへん賑やかな誕生会だった。感謝!!。

2005/06/28

常にブラッシング




国に進出している日本企業の悩みの一つに、従業員が辞めていくことだ。例えば、模範従業員を日本の本社に数ヶ月間研修に出す。帰国してきたところで、さらに勉強の必要性を感じて辞めたり、この経験を高く評価してくれる会社に移ったりするのだ。

そこで中国の若者(22~25歳の女性)の考え方を作文から拾ってみた。
〇 国は経済の成長期です。こんな社会で生存できるように、自分の能力を不断から高めなければなりません。

〇 大学卒も大勢いますから、なかなか仕事が見つかりません。ですから、特別な技能を身に付けることは大切なことだと思います。

〇 日本語の一級を取るのは大変なことです。かといって決してやめません。自分の将来のために苦労するのは当たり前です。

〇 日本語能力試験の後、自動車の免許を取るつもりです。そのあと広州に行って日本企業に就職します。仕事をしながら来年は日本語ガイドを独習して受けます。再来年は英語の検定を受けます。成功したら会社を辞めて自分の会社を創設します。

〇 日本語学校を卒業したら日本の会社に勤めるつもりです。いい通訳になりたいです。お金がたまったら自分の会社をつくるつもりです。さらにお金をためて海外旅行をしたいです。

〇 12月に日本語の試験を受け、それから日本の企業に勤めようと思います。そして2年以内に通訳として国際貿易に関わりたいです。国際的な仕事のために仕事をしながら国際関係学・国際貿易学を勉強するつもりです。いつか日本語の学校を創設して、多くの中国人に貿易のほか中日友好のためにも尽くさせます。私も一生懸命頑張ります。

中国の都市の女性は仕事を持つのがあたりまえ。若い女性は常に自分の将来について真剣に考えている。高校・専門高校を卒業して就職し、学資をためて大学・専門学校に入り直す人が大変多い。親に経済的負担を掛けられない事情があることと、急速に移り変わる社会に適応するためだ。知的Brushingを怠らない。

2005/06/28

BRICs

本の経済誌で「ブリックス」と言う単語が目につく。Bはブラジル、Rはロシア、Iはインド、Cは中国だ。これらの国に共通していることは、国民の教育レベルが高い割に労働賃金が安く、国が工業化政策に力を入れているということだ。

中国が世界のトップを占める工業生産を調べてみた。(1998~1999年)
セメント37%、綿糸37%、綿織物46%、毛織物26%、生糸69%、絹織物95%、二輪自動車50%、テレビ37%、カメラ69%、電話機45%、ラジオ36%、家庭用冷蔵庫17%、洗濯機25%

かつて、日本が世界の工場として活況を呈していた頃の産業部門が、今はそっくり中国に移った感じだ。

世界の4人に1人は中国に住んでいる。中国に進出する企業の目的の一つはこの人口だ。外資導入に成功している沿岸部では所得が向上し、購買能力層が2割に達すると言われている。中産階級の形成化が進んでいる。巨大マーケットが生まれる前兆だ。しかし、問題は富の偏在。この問題解決は為政者しだいだが、紆余曲折はあったとしてもBRICsのトップを走り続けることだろう。
2005/06/28

日本の郵政民営化は?



5月初旬にお世話になった郭さんのうちに早速お礼状を出したが6月に入っても着かないので、もう一度書き上げたところで、着いたとの連絡があった。同じ湖南省内にも係わらず約40日目に着いたのだ。

日本は郵便事業の自由化で郵便局のライバル会社が現れ、郵政省があわて、郵便当局は勿論のこと労働組合も重い腰を上げ、サービス向上に取り組み始めた。お蔭で普通郵便が鹿児島から千キロ離れた東京に、翌日は着くようになった。

競争原理導入は必ず国民のプラスになる。その後、小泉さんの郵政民営化はどうなっているのだろうか。頑張っていただきたい。

2005/07/04

絶好のビジネスチャンス?


もし1千万円の宝くじにあたったら」女子学生の作文から拾った。
○車や家など消費財を買ったら無くなります。最近国内は消費水準が高まり、国民は自分のイメージを重視するようになってきました。私は、自分の将来のために美容院を経営します。専門知識を高めたスタッフをそろえ、サービスを良くし、設備の整った店にします。美容院でお金をためてから使います。
○日本に留学し、暇を見つけて日本料理を勉強します。帰国したら故郷で日本料理店を開きます。
○翻訳会社を作って、生活のレベルアップを図ります。
○両親にスーパー マーケットを経営させて、利益の20%は私がもらいます。

中国は経済開放されて間もない。利益を度外視してきた国有企業は、国際社会で太刀打ちできず、次々に閉鎖され、大量の失業者を出しているようだ。つぎは何が起こるのか。逆に今後何が必要とされるのかなど、良く研究して夢を実現してほしい。中国は今、絶好のビジネスチャンスだ。

2005/07/05

日本語が上達した日本語教師


私は、長年公務に携わったので標準語を使ってきたが、アクセントは方言の域を抜け出せなかったことが日本語の会話授業で証明された。

会話の授業形態の一つとして、教師の私が最初に基本文型を読んだ後、学生全員が声をそろえて読むのがある。私が方言のアクセントで読んでも、正確なアクセントで読んでくれる。申し訳ない。学生は入学以来すべての単語のアクセントの勉強をしているのだ。

私は会話の授業を担当したお陰で、最近日本語が上達したようだ。

駄作のホームページを読んでくださっている貴方、下記の例T〜Xグループの単語は前から何番目の文字にアクセントがあるか読んでみていただきたい。
例T:パンフレット、ぶんか、じゅく、せいと、ぶんがく、かがく、いがく、
例U:パトカー、つまらない、せんぬき、たいふう、こどもたち、おかねもち
例V:てんきよほう、たったいま、せんたくき、はずかしい
例W:たとえば、スケジュール、くつした、ストレス、ひじょうぐち
例X:じっけん、はいざら、りょかん、ガソリン、おとしだま、れいぼう

例Tグループは一番目の文字にアクセントがあるので、答えは@、例UB、例VC、例WA、例X◎だというのだが、いかがかな。

偽札に感心するやら、腹が立つやら



その1:学生が、銀行から下ろした100元札で買物したところ、「偽札だ」と突き返されたという。

写真のどちらが偽札か、おわかりだろうか。以前ご紹介した3点の判別方法は@札の左の白い余白に毛沢東主席の透かしが入る。A右にある主席の服の襟はざらざらの感触。B左下の緑色の100の字を斜めから見ると暗緑色に変わる、であった。この方法で調べると@Aは二枚ともクリヤーするが、Bでは上の札がクリヤーできなかった。

偽札をさらに丹念に調べると、紙がわずかに厚い。中央近くの縦の黒線が少し濃く、わずかに右寄りだ。透かし部分に数本のゴミが入っている。張り合わせてあるようだ。

それにしても精巧にできているのに感心するやら、腹が立つやら。

その2:ある人が写真屋に写真を頼んで前払いし、翌日写真を取りに行ったところ「きのう貴方が支払った100元札は偽札だった。もう一度払え」と迫られ、挙句の果ては警察まで同行させられたと言う。


2005/07/08

日本は小さい国ですね


学生たちと地図を見ていると、よく「日本は小さい国ですね」という。その時「山椒は小粒でもぴりりと辛い」という内容の話をしょうかと思うこともあるが、若者の発言だし、日中友好のためにも我慢。それでもここで言わせてもらうと、世界に向け大きな発言力・影響力を持つヨーロッパの国々を見てください。湖南省程度の国ですよ、と力みたくなる。
国    名 国土面積(万平方`) 人 口(百万人) 人口密度(人/平方`)
日本----------37.8-------------126---------335
中国-----959.7-1267---------132
湖南省-----21.1-----66
イギリス---24.3-----58---------242
イタリア---30.1-----57---------190
ドイツ-----35.7-----82---------230
フランス 55.2 59 107
日本は小さいと言えますか。中国がデカ過ぎるのですよ、と言いたい。
国の評価をするとしたら、その国が世界の平和と貧困に対し、どのように貢献しているか、という見方が、一つの見方ではないだろうか。
2005/07/19

「ブス(シ)」と口角沫を飛ばす


学生間の会話を聞いていると、お互いに「ブス」(Bu shi)と言う言葉をぶっつけ合っている。日本人が醜女を連想して聞いていると、笑ってしまいそうだ。

漢字を当てると「不是」と書き、「いいえ、違います」という意味だ。相手の話をはっきり否定し、自分の考えを主張するパターンで使われる傾向が強い。休み時間は勿論のこと、授業中に「ブス」のぶつけあいが始まることも多々ある。その時は決着がつくまでやらせる。気の許せる仲間同士の議論だから。

日本人は、相手の言葉を「違がいます」と否定して話すことは少ない。否定する時は相手を傷つけないよう婉曲に言うことが多い。このような言い回しに慣れていない中国の学生たちは、私と話す時、理解に苦しむことがあるようで「私には先生の言っておられることがわかりません」とくる。

これらの違いには、どのような歴史的背景があるのだろうか。
2005/07/25

渾然とした調和


口200万人の長沙という大都市で、荷物や人を運ぶ手段を観察していると、その多彩さに驚く。

古来のものとして、大きな袋を肩から提げた人、竹の天秤棒の両端に大きな竹の籠を提げ、果物など売り歩く人。

無動力車として、荷車に練炭を積んで売り歩く人。リヤカーに山のような荷物を積んで運ぶ人。自転車に箱を取り付け、爪切り・シャープペンシル・時計など30〜40種類の小物商品を売り歩く人。自転車の前にリヤカーを付け、その上で油揚げを作りながら売り歩く人。自転車で大型冷蔵庫やプロパンガスボンベを配達する人。

動力車としては充電式電動自転車、これはスクーターそっくりのデザインだ。オートバイの後ろに屋根付き2人掛け駕籠を付けたようなオートバイタクシー。2人の客を後ろに乗せ、後ろに長い傘をさして走るオートバイタクシー。

車としては発動機エンジンを積んだ小型三輪トラックや中型四輪トラック。都市と地方を結ぶ個人経営の小型バス。都心を走る大変便利な中型市営バス、これは料金が1元で数分おきに運行しているため、名物の自転車通勤が姿を消した。

乗用車は、国産車の性能が向上してきたようだ。型の古いフォルクスワーゲンが大変目に付く。ベンツ・アウディは公用車の場合が多いという。日本のメーカー各社は新しい技術を導入して生産しているように見受ける。

これらが輸送手段としての特色を発揮しながら、渾然一体となって堂々と活躍し、中国経済を支えている。中国人のたくましさ、したたかさを感じる。日本には無い交通の歴史だ。
2005/07/26

流れに掉さす旅



私は大まかな旅が好きだ。いろいろな出会いを期待しながら旅に出た。

7月9日(土)長沙発N726次(便)、8:55発、長家界行きの待合室はたいへんな混雑だ。目の前でタバコを吸っていた人が、鉄道公安官?にその場で5元(1元は13円)の罰金を払う。

ローカル線はジーゼル機関車だ。乗り込んだ車両は偶然にも長家界に帰る劉さんと同じ車両。今夜はうちに泊まりませんかと誘われる。約6時間の旅。車窓からは稲刈りと田植えが同時に行われ、僅かだが大型トラクター・中型コンバインハーベスタ・魚の養殖場・アヒル養殖場などが見える。地形として河岸段丘(円礫)を確認。

劉さんのアパートは、川のほとりにある5階建ての4階。部屋は20畳ほどの広さを筆頭に6部屋ある。新築の家賃は130元/月。

川面には対岸の樹木や建物が逆さに写っている。川向は中心街。その向こう正面に、小型飛行機が同時に4機くぐった長家界の風穴が見える。

掃除の手伝いをして昼食のため外出。劉さんのおごり。市内で最も歴史のある張家界普光禅寺(門票1人20元)見学後、市場で食材の買物。宋さんも来て夕食作り。美味しい料理ができた。宋さん(長家界ガイド)が明日は張家界を案内しましょうかと言ってくれるのでお願いした。
2005/07/27

百龍天昇姿態の岩山



7月10日(日)世界自然遺産の長家界武陵源風景区(門票1人245元)。保険1人3元。全長990mを3台連結ロープウエー(往復一人86元)で結ぶ。比高431mを一気に上昇する。眼下に展開するパノラマが一気に広がる。絶景だ。

山上の駅と10箇所ほどの展望所は平均海抜1100m。ここから百龍天昇姿態の岩山を、角度をかえて観賞するようになっている。晴れた日の朝夕、曇りの日、雨の日、雲海の日、黄色みをおびた岩肌と松の緑が、表情を七色に変える姿が見ものだ。

昼ごろロープウエイで降り、宋さんが近くのホテルに案内して昼食。午後からはゆっくり約3時間歩きながら百龍天昇の岩山を下から観賞する。まさに、千山万水の石板遊歩道だ。疲れたら椅子つき駕籠も利用できる。

宿泊は、宋さんの交渉で1部屋35元。ビジネスホテルと言ったところ。清潔な感じのベッドで、一応洗面用の歯ブラシや櫛なども用意してある。シャワーも使える。ここでとった夕食は3人分で52元。
2005/07/27

すき焼と中華料理



7月11日(月)午前中、ホテルから歩いて10分程の宝峰湖に向かう。遊覧券一人62元。湖の長さは2.5km、平均水深72m。湖面から、いきなり平均80mの奇岩がそびえ立つ。まさに集山水宇一体の風景だ。音も無く、ゆったり走る船で1時間ほど遊覧。心の休まるひと時だ。

長家界市内に帰り、劉さんの所に忘れた洗面具を取りに立ち寄ったところ、今夜も泊まらないかと誘われたのでお願いして、昼ごはん食べに街へ誘い出した。食べながら今夜は私がすき焼を作ると言ったところ、ほんとうですかと驚く。

市場で食材を買い、昼寝の後、夕食つくりを始めた。すき焼と中華料理だ。宋さんが同僚の譚さんを連れて来たので、嫁入り前の4人の中国娘と1人の日本人がビールを飲みながら、日本語・中国語の飛び交うにぎやかな夕食となった。

食後、夜間照明のある近くの公園に案内してもらった。親子向けの広い公園だ。国は全国の中小都市に、このような公園つくりを勧めているらしい。

2005/07/27

鳳凰はどっちを向いても絵になる



7月12日(火)劉さんが駅まで送ってくれた。長家界から吉首まで国鉄で2時間、新空調硬座快速、天座(指定席なし)、一人22元。相変わらず混んでいたが苗族の大学生と漢族の若者が、かわるがわる立って、私の席を確保してくれた。明るく親切な人達だ。私が日本人とわかると会話も弾んだ。山の斜面には少数民族の家が点在し、樹木の大変少ない山々が続く。

吉首から鳳凰まで53km、舗装はされているが、スピードを上げクラクションを鳴らし続けながら走る民間の小型バスで1時間。苗族と土家族の居住区だ。山の斜面は、石組みの棚田、耕して天に到る景観だ。

終点でバスの運転手に宿の様子を聞いたところ、自分は、国の許可を受けていない宿屋を経営している、うちに来ないかと誘った。一部屋60元だという。見てから決めると言ったところ、バスで連れて行ってくれた。家は古いが有名な屋根付き橋の袂で、川に面していて、眺めがよい。それに部屋は良く掃除されている。大変気に入ったので決めた。

街は古い家並みが続き、細い路地は絵になる。そういえば美術の勉強をする大学生の一団も来ている。しかし、街は観光化と共に豊かになり、増・改築の際、伝統文化の建築様式が消えつつある。クーラーの室外機も大変目障りだ。目先の儲かる事だけに気を遣っているようで残念。

2005/07/27

村総出のお出迎えに感謝のご挨拶


7月15日(金)ケさんの家に出発。1年の李さんも一緒だ。高速道路を40分。劉陽市は花火の生産では名の通ったところらしい。郊外には世界に名だたる製薬会社が次々進出していると言う。さらにローカルバスに10分乗り、未舗装の道路や田んぼの畦を20分歩いて着いたところ、隣近所の子供から大人まで総出のお出迎え。挨拶をしたところ「さすが先生」とほめられた。辛くない料理を作ったのは、はじめてという。申し訳ない。数年前にできたきれいな家だ。寝るのは1階のご両親のベッドで、竹のマット。夜中に寒くて目が覚めた。

2005/07/27

弱小民族の劣悪環境が今や観光資源



7月13日(水)早朝、路地の撮影。その後、写真で見た苗族の村に行こうとバス停に向かっていたところ、軽自動車(ワンボックスのトラック)の夫婦に、苗族の古村(22km)、土家族の古村(18km)に行かないか、待ち時間も含めて一日60元というのを50元に負けさせて出発した。

道も悪いがクッションも悪い車のため、腸ねん転を起こしそうな上下左右の激しい揺れだ。この先に村があるとは思えない狭い道をたどって、最初の苗族の村に着いた。最近作った石門で止められ、6人の少女が歓迎の歌と振舞い酒で出迎えた。約80人の村落だ。入村料一人50元。

村は外敵(漢民族?)の進入を避けるため、撤退を繰り返し、川を渡った石山に住み着いた。村は、それでも戦いに備えて、見張り台、T字路・屈曲路など戦略的だ。未婚の女性は、2階を寝室とするなど、住まいも石で作った要塞だ。

村の風習として病弱の男子は、15歳以上の大きな女性と結婚させた。頭の良い方が決定権を持つ主人だという。農家の土間で歌と太鼓踊りを見せてくれた。これまでは1戸当たり年収300元、今年は観光収入で500元になる予定。小学1年〜4年までは苗族の言葉で勉強。5〜6年生は中国語で勉強する。帰り道、あちこちの山間部から出てきた人が、水溜りを避けながら街を目指してもくもくと歩いている。揺れのひどい車だが、乗っているのが申し訳ない気分だ。

午後からの土家族の村(羅都)も入村料は一人50元。適当に見てくれと放り出された。すると子供たちが現れ、案内させてくれとうるさく付きまとった。道は石、家は土壁。得るものは皆無だっ
た。
2005/07/27

村総出のお出迎えに感謝のご挨拶



7月15日(金)ケさんの家に出発。1年の李さんも一緒だ。高速道路を40分。劉陽市は花火の生産では名の通ったところらしい。郊外には世界に名だたる製薬会社が次々進出していると言う。さらにローカルバスに10分乗り、未舗装の道路や田んぼの畦を20分歩いて着いたところ、隣近所の子供から大人まで総出のお出迎え。挨拶をしたところ「さすが先生」とほめられた。辛くない料理を作ったのは、はじめてという。申し訳ない。数年前にできたきれいな家だ。寝るのは1階のご両親のベッドで、竹のマット。夜中に寒くて目が覚めた。

2005/07/27

中国は自由な国だ。日本はどうだ。



7月16日(土)農家は朝が早い。お父さんが木箱に付けた脱穀機の歯と発動機を取り外して、竹篭に入れ竹の天秤棒で運ぶ。箱は夫婦で担いで水の入ったままの水田に据え付ける。脱穀機の工夫はいかにも中国らしい。

稲を刈り取って脱穀する。収穫した籾は、竹で編んだムシロで半日天日干し、手回し送風機で選別する。選別した籾を無差別に抽出して数えてみると、黄色に熟れた籾が21粒、未熟の青い籾が19粒。精米すると屑米が相当出ることだろう。まだまだ農業改良の余地があるようだ。

朝のうちは近所回り。どの家もお茶が出る。どの家庭にもテレビはある。半分ぐらいの家庭にはバイク(125CC)がある。ある農家でのやり取り。「日本人は英語で話すのか」「日本のお金を見たい」と言うので1万円札を見せたところ、福沢諭吉の肖像をさして「この人は毛沢東か」ときた。「何をした人か」「教育者だ」にピンとこない様子。「富士山は高いから年中雪に覆われているだろう」など。

耕地は家庭の人数によって割り当てられている。この割り当ては30年間、動かさないという。ケさんの4人家族には4畝(ムー)(1ムーは6.67アール)。1ムーで数年前は米250kgの収穫があったが、最近は500kg取れる。水田の耕作には水牛。畑は小規模でトウガラシとサトイモが多い。

夕食のとき農業に携わる若者が訪ねてきて質問した。『この辺の農家を見てどう思うか』「古い文化と新しい文化が混在している。日本の40年位前の生活とそっくりだ。中国の近代化は日本がたどった時間より早いだろう」『どうすれば豊かな農業ができると思う                                                                               か』「農民も商人的感覚で、常に時代を先取りする事だ」『日本人の豊かさの様子はどうか』「国民の大部分が中産階級意識を持った。中国は国土が内陸に広がっているし、非識字率15%(約2億人)も問題だ。経済発展の波に乗れない人も多いだろう」『日本の道路はどうか』「私の学生時代はこの地域と同じだったが、今ではどの水田にも小型トラックが横付けでき、山の中まで舗装されている」『中国は、今まったく自由だ。何をしても良い。日本はどうか』「日本はそれ以上で、政府を批判する自由もある。しかし、大部分の者は社会人としてのマナーを守る」

2005/07/27

レンガ文化



二つの教室の壁を打ち抜き、広い部屋にする様子を見た。なんとレンガだけでできていて鉄筋は入っていなかった。だから、30cmもの厚い壁をハンマー1本で簡単にぶち抜くことができるのだ。翌日は一つの部屋になっていた。今中国は建設ラッシュだ。建設中の近代的な高層ビルも建築素材にレンガは欠かせない。

今、長沙では下水道建設がさかんだ。そのマンホールもレンガを積んで造る。積んだばかりの、セメントの固まらないレンガに乗ってさらに積み上げていく。これもレンガならではの工法だ。しかし、漏水が激しく、地下水が汚染されていくことだろうと推測する。

レンガ積みは素人でもできる。公道である歩道にレンガを積んで面積を広げた店がある。また、小学校を取り巻く高い塀に沿ってレンガを積み、小屋にしたり、住家にしたりして道路を狭くしている所もある。

レンガはどこにでもある土を原料にして作る。土を掘った痕はしばしば水溜りになって放置されている場合が多い。

2005/07/27

紅い旅



7月24日(日)彭さんの計らいで星星ちゃん(小学4年生)のご両親が車を出してくださった。彭さんのお母さん・弟さんも一緒だ。最初に星星ちゃんのご両親が経営される私立長沙環球職業中専学校を訪問した。ご夫婦は1万人の学生を擁する学校の校長先生。

まず校長室に通され、次に資料室だ。ここでは校長先生の広範なおつき合いの様子が紹介されている。例えば劉少奇主席の奥様と一緒の写真や現政府の要人との親交の様子など大きな写真で展示してある。コンピュータ室や工作機械の部屋を見た後、校門でカメラマンに記念写真を撮らせ、お土産をいただいてお別れした。

劉少奇主席のところは長い階段を上がったところに資料展示館(1人票価30元)があり、生家はそうとう歩いたところにあった。全面改造した家で、伝統のレンガを土で固めた家だ。家の広さや家財道具などから、当時としては経済的に悪くない家庭ではなかったろうかと推察した。

毛沢東主席のところは生家だけ見た。観光客が多い。つぎつぎとやってくる。ここも全面改造されている。レンガの壁を土で固めた家で、一昔前の工法だ。縁起を担いで、四方の屋根が雨を中庭に取り組む「天井」と呼ばれる造りもしてある。同じ屋根の下に牛小屋も豚小屋もある。土間にベッドを置く仕組みだ。農村でこれだけの広い家は自作農と推測す
る。

帰りに共産党学校跡を見学した。学校は長沙市内へ移転したとかで、その跡地の広さは1万uあるという。校舎はそれほど古くは無い。ここで筋金入りの共産党員を育ててきたのだろうと思いながら見学した。キャンパスの中央にはみかんの森と呼ばれるところもある。勤労体験の農園で、学生への栄養補給源でもあったのだろう。高台の方には女子学生用の寮跡もある。

帰りは彭さんの所で、時間を掛けて煮込んだ「不辛」(ブラ)(からくない)の鴨料理をいただいて帰った。

2005/07/27

長沙市の水道水は?



長沙市水道局の周氏(1年間鹿児島で水道の研修)とお会いする機会があったので、「どうして飲める水道水にして市民に供給できないのか」を聞いた。それによると浄水施設を送り出すときは飲める水にして出すが、途中で汚染されると言う。

これまでに訪問した中国人のほとんどの家庭の台所や水洗トイレ、シャワー室で水道管に関連する故障をよく見かけた。見かけだけの工事が踏襲されているため、すぐガタがくる。地中に埋めてある水道管の問題もその延長線上の問題だろう。

技術の問題だけでは片付けられないように思う。

2005/08/01

思えばいろんな経験をしたもんだ



思えば雪も降る寒いさなかの3月から、連続38〜39度という暑い夏を体験するまでの5ヶ月間だった。途中、辛い食事を前にして郷愁にかられたり、反日感情の高まりに警戒したり、予告無しの停電や断水に中国の発展を感じたりした。

異国の地で私が曲がりなりにも勤められたのは、範先生・劉先生・徐さんのお陰である。受け入れ準備・食事・断水・病気のときの気配りに感謝したい。

当然、学生の協力無しにはここまで続かなかった。食材持参で、にぎやかな食事をした。病気のとき薬を届けてくれたり、食事を心配してくれたりした。勉強意欲・優しさや親切さは予想をはるかに超えるものだった。12月の日本語能力試験では全員パスを祈念する。

休みを利用して湖南省南部の永州の郭さんと、東部の劉陽のケの家でホームステイさせていただいたことは貴重な体験となった。西部の長家界では劉さん宋さんに大変お世話になり、世界遺産の見事な景観を目にすることができた。鳳凰の苗族の暮らしもつぶさに見た。

湘譚では革命家の生い立ちをみた。1万人の私立専門学校や元共産党の学校見学も貴重体験となった。長沙市内の彭さんのところは毎月お邪魔し、ご両親と親しくなり、ご馳走になった。5月の節句に徐さんのお姉さん宅に呼んでいただいたのも貴重な思い出だ。

これらは学生諸君と私がお互いを認め合い、それぞれの文化の違いを認めあった上でのお付き合いの結果である。政治的にはいろいろな駆け引きもあろうが、認め合う方向で対立を解消できれば、東洋の一角に強力な経済機構が構築され、双方が発展し豊かで平和な暮らしができるだろう。

このホームページは日中友好を念頭に置きながら、日本・中国双方の文化の違いを中心に、実際に見聞したことを書いた。見方によっては誤記に見えたり、お気に障るような文面もあったりしたことと思う。これらは私の不徳の致すところと思ってお許しいただきたい。また、何らかの方法でご意見をお聞かせいただければありがたい。

尚、通信事情で写真が思ったように送れなかった。帰国して落ち着いたら補充するつもりである。いくらか載せなかった文章もある。これらは日を改めてこのホームページの追記として紹介できればと思っている。

それでは中国からの送信を終わります。長い間のご愛読、ありがとうございました。

竹下先生の長沙日記3
2005年6月1日〜7月30日